1950年2月の松竹映画、脚本新藤兼人、監督吉村公三郎のコンビ。
東急電鉄と東急労組の協力作品で、主人公の佐野周二は東横線の車掌、当時の電車の映像が出てくるのは貴重。
佐野の恋人は、渋谷駅の駅務係の藤田泰子で、切符売りや改札もしている。「駅には改札があったな」と思う。若松孝二の1982年の映画『水のないプール』では、内田裕也が切符切りをしていたなと思う。
藤田の父親は志村喬、母親は英百合子で、二人とも本来は東宝だが、ストライキ直後で、新東宝にも出られなかったのだ。志村は、組合支持派で、意外にも黒澤明もそうだった。
志村は、鉄鋼所にいたが、高齢でクビになっている。家には子供が5人いて、次女は金持ちの家の女中になる時の朝から始まるが、食事は米だけでおかずはない。
志村や藤田が持っていく弁当も米だけで、すごい食糧事情だったのだ。まあ米だから、麦やイモよりはましというところだろう。
藤田は、切符売りをした竜崎一郎が、切符をなくし困っていたところで、「私が売りました」と証言したことで好意を持たれる。
そして、なんと次女が女中に行った家は、セメント会社社長の青山杉作で、竜崎は、その息子で音楽家である。これは、秩父セメントのオーナーで、作曲家だった諸井三郎とその一族のことだろうか。
家は、豪華で電気冷蔵庫があり、コーヒーメイカーでコーヒーを煎れている。
貧富の差は非常にあったわけだ、この時期は。
そして、理由は不明だが妻を失っている竜崎から、藤田に結婚が申し込まれ、志村や英は大喜びする、貧乏から抜け出せると。
そんな時、佐野に静岡鉄道への移籍の話がくる。静岡鉄道は、東急の傘下だったのか。
佐野を小田原まで藤田は送って行き、海岸で二人はついに抱擁する。その後はどうなったかは知らないが。
家に戻った藤田は、竜崎の求婚を断り佐野と結婚することを志村に告げる。
半年後、朝鮮戦争が起きて、日本経済は復興することになるが、その直前の貧困時代を描いた貴重な作品である。
衛星劇場
翌日、竜崎に言った志村は、藤田の言葉を残念がったが、志村を会社に雇用するのは変えないよと言われて大喜びする。
これが意味するのは、『暖流』でも示した、資本家も労働者のことを理解して協調すべきだという吉村公三郎の思想を現わしていて、それは松竹の城戸四郎のものでもあったのだ。