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P 1970 近鉄 25 7 0 0 0 1 4 -- -- .200 236 56.1 62 5 18 0 2 37 0 0 26 24 3.86 1.42 1971 14 3 0 0 0 0 1 -- -- .000 115 25.0 26 7 16 0 3 13 7 0 20 19 6.84 1.68 1972 16 8 1 0 0 2 1 -- -- .667 258 59.2 67 6 20 0 4 36 2 0 34 26 3.90 1.46 1973 40 28 4 1 0 6 14 -- -- .300 803 192.0 161 21 74 5 9 113 3 1 86 69 3.23 1.22 1974 43 26 2 0 0 10 14 2 -- .417 714 163.1 156 21 76 2 8 77 3 0 95 84 4.64 1.42 1975 35 24 12 1 1 12 12 1 -- .500 769 188.2 169 17 45 1 9 91 6 0 85 78 3.71 1.13 1976 29 23 2 1 0 9 7 0 -- .563 609 144.0 125 13 76 1 1 54 6 1 70 63 3.94 1.40 1977 36 29 14 2 2 10 14 1 -- .417 878 218.2 208 23 39 0 6 72 4 0 86 78 3.21 1.13 1978 21 15 2 1 0 1 9 0 -- .100 308 69.2 90 9 21 0 3 26 1 2 46 42 5.40 1.59 1979 31 20 4 1 0 7 4 0 -- .636 572 136.0 135 15 41 0 6 47 4 1 55 50 3.31 1.29 1980 14 3 0 0 0 0 4 0 -- .000 189 38.0 64 9 14 0 1 17 3 0 47 45 10.66 2.05 1981 1 1 0 0 0 0 1 0 -- .000 12 2.0 3 1 2 0 0 2 0 0 4 2 9.00 2.50 1982 13 1 0 0 0 0 0 0 -- ---- 168 38.0 39 1 17 1 1 19 0 0 23 19 4.50 1.47 通算:13年 318 188 41 7 3 58 85 4 -- .406 5631 1331.1 1305 148 459 10 53 604 39 5 677 599 4.05 1.32
斎藤が引退したが、元祖甲子園のアイドル太田幸司と比較すれば、やはり大学に行ったことが無駄だったと思う。
1973年から5年間が一番勝ち星を上げている。この間に、斎藤佑樹は、大学で「無駄に」過ごしたわけだ。
大学では、ほとんど無敵だったので、そこでの進歩はなかったのだと思う。
そして、やっとプロ入りである。
前にも書いたが、一般に投手の球のスピードは、20歳頃が最高だと言われている。
その辺で、十分な練習と実戦をすべきだと思う。
もちろん、村山実や杉浦忠のように、大学を出てからプロに入って活躍した投手もいる。
だが、大学出で、200勝以上したのは、秋山と村山と杉下の三人しかいないのだ。
やはり、斎藤が早稲田に行ったのは、回り道だったと思う。
もちろん、それも人生は本人の自由だが。