澤木耕太郎の著作に最初に注目したのは、雑誌『月刊エコにミスト』に連載されていた「若き実力者たち」だった。そして、1970年代の中頃、実際に彼の姿を見た。
当時、友人の下川博と劇団をやっていて、伊藤比南子が出た。アングラ女優の常で、芝居では当然食えず、銀座のクラブにいたらしく、その客の一人として劇を見に来たのだ。たぶん、二日目だったと思うが、終わると大きなミリタリールックでサングラスの男がいて、すぐに澤木と分った。伊藤比南子と二三、会話していたようだ。
澤木は、実は私のすぐ近くで育ったようで、大森3中から都立南高校に行ったようだ。多分、日比谷高校に落ちたのだろう、当時は「学校群制度」の前だが、上位校から落ちるとどこかに行けるようになっていた。
「学校群制度で、美濃部知事は都立高校を破壊した」とよくいう石原慎太郎だが、これはまったくの嘘。学校教育は、都知事の権限ではなく、教育長なのだから。小尾虎雄教育長が行ったことで、美濃部知事は関係ないのだ。
澤木は、高校時代は陸上競技をやっていたそうで、実際に非常にがっちりとした体だった。
このテレビでの大沢たかおは、悪くないが、あんな優男ではなく、かなり大きな男である。
でないと香港からアジア各地を一人で旅することもできなかったと思う。
この香港、バンコク、マレーシアからシンガポールで、澤木が気に入ったのが香港等の狂騒であるのが興味深い。
彼が生まれ育ったのは、大田区中央で、ここは住宅地だが、すぐ近くには蒲田があり、ここは1960年代まで闇市的な商店街もあるところだった。
そうした記憶から香港等の喧噪に引かれるんだろうと私は思うのだ。
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