ゴルゴダの丘とは、キリストが処刑された場所であり、キリスト最期が描かれているが、『新訳聖書』どおりに進行する。
エルサレムにキリストが来るところから始まる。多くの人が、キリストの力に半信半疑だが、目が見えない者、足が動かない者などの身障者がキリストを待望している。
彼も、多くの宗教の教祖と同様に、かなり怪しげな奇跡をやっていた。
当時、エルサレムはローマの支配で、総督のピラトは、ジャン・ギャバンで、この騒ぎを冷静に見ている。
ユダヤ人の高等法院では、キリストに来訪に大騒ぎで、多くは彼を処刑しろと言ってる。
広場には、沢山の露天があり、様々な物を売っているが、キリストは、それをドンドン壊してしまい、広場は大騒ぎになる。キリストの反富裕性を現わすもので、キリスト教もその初期では、庶民宗教だったのだ。
高等法院では、尋問が行われ、結果として死刑がきまる。総督のピラトに報告すると、「彼はどこの者だ」と聞かれ、「ナザレの人間だ」との答えが来ると、「ナザレの王に決めさせろ」と逃げる。
ピラトは、ユダヤ人同士の争いに巻き込まれたくないのだ。
死刑が決まり、ゴルゴだの丘へを自ら十字架を担がされて歩んでいく。
映画的には、フルショットが多いが、諸所で移動撮影も使用されている。
丘に着くと、急に天気が変わり、暗雲が立籠め、雷鳴がとどろく。
民衆は、やはり彼はメシアだと思うが、同時にメシアなら奇跡を起こして十字架から逃れてみろとも言う。民衆の無知蒙昧性がよく描かれている。
処刑が終わり、遺体をマリアなどが墓に持って行く。
入口を固め、兵士に厳重に警護させる。
3日後、石の扉が空き、中の棺には死体がない。
信者は言う、「キリストは復活したんだ!」
高等法院は言う、「護衛の兵士が寝ていて、その間に信者が運び出したんだ」
監督は、映画『望郷』のジリアン・デュビビエで、彼は熱心な信者だったのだ。