「『昭和天皇実録』が解き明かす昭和史の謎」の6回目で、いろいろと興味深い話しがあったが、第一は「焦土演説」だった。
これは、満州事変の翌年1932年8月25日に、斉藤実内閣の外務大臣内田康哉が衆議院で答弁した。
「国を焦土にしても満州国の権益を譲らない」と言った。
質問者の政友会の強硬論者森恪も驚いたというもの。
内田は、外務官僚で、当初は協調外交論者だったらしいが、南満州鉄道総裁になったあたりから変わり、強硬論者になったとのこと。
彼の「国を焦土にしても満州国の権益を譲らない」は、その後のアメリカとの交渉でも最大の問題になり、その結果対米戦争になり、日本の国土は焦土化したわけだ。
その意味では、彼の予言は当たったことになる。
戦前、戦中の日本人にとって、中国からの撤兵は、絶対に譲ることのできない「生命線」だった。
だが、戦後から現在の日本に、「生命線」の他国領土などない。
それで、現在の繁栄にいたっているのだから、この生命線など存在しなかったのである。