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Channel: 指田文夫の「さすらい日乗」
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『あなたしか見えない』が最高だった

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昨日の午後は、中区の吉田中学校コミュティ・ハウスの自主講座で「美空ひばり」について、映像と音楽で話した。 私が、ひばりに接したのは、やはりひばり・チエミ・いずみの三人娘の『ジャンケン娘』が最初だったと思う。姉に連れられて池上映画劇場で見た。 姉は、江利チエミが好きで、私も、ひばりはやや泥臭い気がした。 そして、一番西欧的に見えたのは、雪村いずみだが、今聞くと一番下手である。 これはいずみ自身が「一番下手な私が生き残ってしまったわ」と言っているくらいだ。 彼女の父親は、戦前に法政大でハワイアンバンドをやっていた人で(そのレコードを持っている)、戦後も米軍に勤務するなど、上流の家だった。ところが、彼が自殺してしまい、朝比奈家は急迫する。そこで、娘のいずみに芸能界で働かせることにしたので、いずみは元々素人なので、その分芸人的ではなかったことになる。   こうした美空ひばりへの思いが一変したのは、中村とうようさんに、一九八〇年頃にどこかで、彼女のSPの『アゲイン』を聞かされたときだった。 『アゲイン』は、ドリス・デイの名曲だが、なんと一六歳のひばりが歌って堂々たるジャズになっているのだ。彼女は、英語は読めなかったので、カタカナを譜ってもらって唄ったというが、一六歳にはとうてい思えない表現である。このとき私は、「阿川泰子は、ひばりの爪の垢を煎じて飲め」と思ったものだ。   私は、二つ自慢があり、一つは、新宿コマ劇場の美空ひばり公演を二回見ていて、その評を『ミュージック・マガジン』に書いていること。マガジンに、ひばりについて書いた人はいるが、公演について書いたのは私ひとりだ。 もう一つは、1964年7月一二日の、新宿厚生年金会館で行われたマイルス・ディビスの公演を見に行っていること、高校二年生の夏。   さて、昨日は、この『アゲイン』を最初に、新東宝映画『ラッキー100万円娘』と松竹の『七変化狸御殿』での彼女を見た。 『ラッキー100万円娘』は、本来は『東京五人男』の、エンタツ・アチャコ、古川ロッパ、川田晴久、城戸新太郎の脇に出ていたのだが、ひばりが有名になったので再編集したというもの。1949年5月に神奈川公園で行われた、博覧会の野外イベントでの歌を披露するもの。 だが、ここでのひばりは、ソロを取っておらず、歌う女性は野上千鶴子という今は誰も知らない女優。 この博覧会の会場の一部は、関内に移転するまで、横浜市役所として使用されたのだ。この神奈川公園近くにあったのが、利休庵で、市役所の移転と共に関内に移転したのである。 「ひばり・演歌・山口組」というのが普通の見方だろうが、実は美空ひばりは、1970年代風の演歌はほとんど歌っていないのだ。 『アーリー・タイム』という初期のSPからは、『チャルメラ・ソバヤ』を掛けた。これは、チャック・ワゴン・ボーイズという多分慶応大の連中のカントリーバンドで、ベースを弾いていたのは、NTVで『シャボン玉ホリデェー』『光子の窓』等を作る井原高忠である。   そして、最後に1982年6月の中野サンプラザでのコンサートから映像と歌を見た。なかで、最高だったのは、キャロル・べイヤーセイガーが歌ってヒットして『あなたしか見えない』が最高だった。 ハウス館長の川澄さんは、これをリタ・クーリッジの来日コンサートでも聞いたとのことだった。クリス・クリストファーソンも一緒だったとのこと。                      最後は、もちろん、映画『悲しき口笛』のラストシーン。 今回、美空ひばりの映像を見直して、すごいと思うのは、1949年5月の『東京五人男』ときは端役だったのが、6ヶ月後の『悲しき口笛』では主役になっていることだ。 このSPは、90万枚売れたと言うのだ、当時。

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