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Channel: 指田文夫の「さすらい日乗」
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三つのこと 『祈り』で気づいたこと

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一昨日見た『祈り 幻に長崎を想う刻』で、三つ感じた。まずは、最後のシーンで、ここまで淡々としてきたが、雪の夜に、約束した浦上天主堂に信者が集まってくる。監督の松村克弥は、ドキュメンタリーをやってきたとのことで、無用な誇張がなく、非常に淡々と表現したいる。だが、このラストで、急に感動がこみ上げてくるが、これは唐十郎から野田秀樹までがやっている表現であることを思い出した。唐の芝居で、最後にテントが開けられ、至上のラストシーンの感動になる。また、野田秀樹では、ラストで主人公たちが、天空の向かって独白し、見る者は涙してしまう。これは、『マリアの首』の作者、田中千禾夫が始めたことなのだと思ったのだ。
そして、この淡々とした表現の裏には、田中千禾夫のリアリズムの描写があることも気づいた。よく知られているように、田中は、大学卒業後、岸田国士が主催する雑誌『劇作』の同人になる。岸田が文学座の創立者の一人であるように、そこの傾向は、日常的なリアリズムで、敢えて言えば新派的な劇作だった。この頃の田中の作品には、『おふくろ』があり、これは戦後、日活で1955年に望月優子、木村功、左幸子らで作られている。だが、戦後、田中は、俳優座に入り、前衛的、実験的な作風に変わる。その理由は、言うまでもなく戦争、特に自身の生地である長崎に落とされた原爆である。これは、1970年代のことだが、「反核運動」が起きたとき、田中千禾夫は、その運動の中心の一人となったことでもよく分るだろう。このように、田中千禾夫の劇は、詩的で実験的なのだが、その裏にきちんとしたリアリズムがあることが、この映画でよく分った。最後は、この作品の美術である。昼は保母、夜は合同市場で詩集を売るのが、黒谷友香の忍。この市場のセットが非常に良い。一般に映画の美術で一番大変なのが、昭和以降である。明治、大正時代は、よほどの金持ちでなければ家庭には物が少なく、町にも大したものがないので作りやすく、また間違っても、知る人がほとんどいない。だが、昭和以降だと、家財も多くなり、町に様々な宣伝物等が氾濫する。また、まだ生きている人がいるので、間違うと苦情がくる。この作品の時代の1959年は、私はまだ小学生だが、この時代の雰囲気をよく再現していると思う。

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