昭和天皇と内大臣木戸幸一は、なぜ対米強硬派の東條英機を近衛首相の後の首相にしたのだろうか。非常に不思議に思える。それは、昭和天皇と当時の陸海軍首脳との関係にあったそうだ。
若い天皇に対して、20歳も年上の杉山元陸軍大臣などは、「教えてあげる」と言った態度だったそうだ。それに対して、東條英機は、まるで初年兵のように天皇に接していたとのこと。保阪正康の『陰謀の日本近現代史』に、当時の侍従から聞いた話として出てくるが、多分本当のことに違いない。だから、そのように昭和天皇の言うことをよく聞く東條ならば、あるいは行き詰まった対米交渉も天皇の平和への願いを理解して、戦争回避に行くのではないかと思ったのだ。だが、もちろん、東條の本意は、米国との戦争にあったので、天皇の命令だったので、一応御前会議の決定も最初から考え直してみるが、結論は同じだった。そして、1941年12月8日になってしまうのである。
若い天皇に対して、20歳も年上の杉山元陸軍大臣などは、「教えてあげる」と言った態度だったそうだ。それに対して、東條英機は、まるで初年兵のように天皇に接していたとのこと。保阪正康の『陰謀の日本近現代史』に、当時の侍従から聞いた話として出てくるが、多分本当のことに違いない。だから、そのように昭和天皇の言うことをよく聞く東條ならば、あるいは行き詰まった対米交渉も天皇の平和への願いを理解して、戦争回避に行くのではないかと思ったのだ。だが、もちろん、東條の本意は、米国との戦争にあったので、天皇の命令だったので、一応御前会議の決定も最初から考え直してみるが、結論は同じだった。そして、1941年12月8日になってしまうのである。