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Channel: 指田文夫の「さすらい日乗」
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テキ屋のバイト

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私は、学生時代にあまりアルバイトはしなかった。母も、兄も「バイトをするくらいなら、勉強した方が良い」で、その時間分は勉強せよとの考えだったからだ。だが、もちろん、私はその分、勉強したわけではないが。私がしたアルバイトは、デパートでのお歳暮の用紙書き(営業職員が取ってきたお歳暮の名簿から、発送用の用紙を作る)、テレビ局での美術部と運動部。広告代理店や出版社での原稿取りなど。どれも兄の学生時代の友人や、劇団の先輩がいた会社でのものだ。なかで、一日だがやったのが、テキ屋のバイトである。これは、前にも書いた林さんからのものだ。林さんの知人に本職のテキ屋さんがいて、林さん自身も大学を8年で出た後、このテキ屋さんの手伝いをして全国を回っていた。テキ屋の世界も、既得権の世界で、ある年にある祭礼に出ないと、翌年は権利を失うというのもだそうだ。だから、祭礼が、同じ日にぶつかると、誰か代わりにやっれくれる人が必要なのだ。
            その日も、井の頭線のある駅だったが、駅の向こうとこっちで祭礼があり、「一つに出てくれ」と話しが来たのだ。たぶん、1970年の秋の日曜日で、午後から神社の祭りでの、ポイで取る金魚掬いだった。1回100円で、10匹取ると、1匹あげるというものだったと思う。昼の1時頃から、夜の10時頃までで、2万円以上の売り上げだった。林さんによれば「指田のようにやさしそうな学生だったので、子供がたくさん来たのだろう」とのこと。金魚掬いが上手いのは、小学校6年生くらいの女の子で、20匹くらい取るのがいる。後日、2万円以上だったとのことで、約束の3000円に加えてさらに2000円くらいもらったと思う。テキ屋と言うと、ショバ代は、とくるがこれが実は安いもので、電気代とか清掃代等の名目で、その場所を仕切る親分が取る。8時頃、いかにも子分風の男が来て、「兄弟!、兄弟!」と言い、これだなと思い、300円を渡して終わり。テキ屋は意外にも儲かるものなのだが、結局はギャンブル等で遣ってしまうものだそうで、金は貯まらない。やはり、サラリーマンが一番だそうだ。


       

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