Quantcast
Channel: 指田文夫の「さすらい日乗」
Viewing all articles
Browse latest Browse all 3529

『硝子のジョニー・野獣のように見えて』

$
0
0
1962年のこの映画を最初に見たのは1973年で、文芸座のオールナイトの蔵原惟繕監督特集だった。「とてもきれいな映画だな」と思ったが、中身はよくわからなかった。その後、どこかで見て、今回の宍戸錠特集で3回目だが、初めて内容がわかった。これは、普通フェリーニの『道』だと言われていて、構造はそうだが、趣旨はドストエフスキーの『白痴』である。
元は板前だが、競輪狂の宍戸錠、元はギター流しで人買いのアイ・ジョージは、稚内の漁村の貧しい家の芦川いづみを買い、二人は何度か金のために芦川を売ろうとする。彼女は、母親の田中筆子によれば「この子は少し違う」のであり、知的障害である。彼らは、漁村から函館、小樽をさまようが、最後は芦川が故郷に戻るのに引き寄せられて、海岸に来る。そして、宍戸は海に消えた芦川に向かって「俺を捨てないでくれ!」と叫ぶ。白痴の芦川は、純粋性であり、神のごとき存在になるのだ。
宍戸は、若い競輪選手の平田大三郎に賭けるが、彼は競輪よりも恋人松本典子の方が大事に見え、宍戸と競輪から逃げ出すが、松本に捨てられる。また、宍戸には競輪場前で食堂をやっている南田洋子がいて、アイ・ジョージは恋人の桂木洋子に逃げられた過去がある。みな、愛に飢え、また得られない物をもっているのだ。不幸の塊のような連中がさまよっている。
これは、芸術祭参加作品であり、かなりの大作だった。日本テレビの夕方に、映画の予告編を放送する時間があり、私はこの予告編を見た記憶があるが、かなりに宣伝された映画だった。間宮義男のカメラも素晴らしく、木造の函館競輪場や小樽の赤線街の映像も大変に美しい。音楽は黛敏郎で、いつものように抒情的でよい。桂木洋子は、可憐だが、これが映画出演の最後だそうだ。大ヒツトの『ガラスのジョニー』には、東映版もあるが、アイ・ジョージの伝記的なもので、たいしたことはないようだが、ぜひ見てみたい。横浜シネマリン


Viewing all articles
Browse latest Browse all 3529

Trending Articles