共同通信の柿崎明二氏が、内閣補佐官になったそうだ。
これで思いだしたのは、アメリカのジャーナリストのエド・マローだ。彼は、戦前はCBSラジオで、欧州からレポートを行い、特に戦時中はロンドンから『デイス・イズ・ロンドン』で、ナチスのロンドン空襲等を放送し、大変に人気になった。私は、彼のLPを2枚持っているが、低音の良い声で、大変に魅力的である。戦後は、アメリカに戻り、CBSテレビで、『シ―・イット・ナウ』でさらに人気を得る。一番に有名なのは、「赤狩り」のマッカーシー上院議員を追及した回である。これは、ジョージ・クルーニーの映画『グットナイト&グッドラック』で描かれたので、憶えている方も多いだろう。
だが、この後については、ご存じだろうか。彼は、1961年に成立したケネディ政権の文化広報部長になる。ケネディは、彼の名声がほしかっただけで、結局政権内では大した成果を上げることができなかった。柿崎氏が、どのような役割を果たすのかは分からないが、安倍そして菅政権の「無教養」「無知性」ぶりをなんとかするように希望したい。
これで思いだしたのは、アメリカのジャーナリストのエド・マローだ。彼は、戦前はCBSラジオで、欧州からレポートを行い、特に戦時中はロンドンから『デイス・イズ・ロンドン』で、ナチスのロンドン空襲等を放送し、大変に人気になった。私は、彼のLPを2枚持っているが、低音の良い声で、大変に魅力的である。戦後は、アメリカに戻り、CBSテレビで、『シ―・イット・ナウ』でさらに人気を得る。一番に有名なのは、「赤狩り」のマッカーシー上院議員を追及した回である。これは、ジョージ・クルーニーの映画『グットナイト&グッドラック』で描かれたので、憶えている方も多いだろう。
だが、この後については、ご存じだろうか。彼は、1961年に成立したケネディ政権の文化広報部長になる。ケネディは、彼の名声がほしかっただけで、結局政権内では大した成果を上げることができなかった。柿崎氏が、どのような役割を果たすのかは分からないが、安倍そして菅政権の「無教養」「無知性」ぶりをなんとかするように希望したい。