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Channel: 指田文夫の「さすらい日乗」
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『小原庄助さん』

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1949年の新東宝映画で、東宝配給。この頃は、新東宝製作、東宝配給の体制だったが、後に新東宝が自立し、これが崩れる。新東宝独立に動いたのは、主に戦前のPCL系の人だったようだ。
           
「小原庄助さん」が歌われるが、会津ではなく、東京の近郊の農村くらいのい感じである。地主の庄助の大河内伝次郎は、善人で村の若者には野球の道具、女性にはミシンをあげるなどする。要は慈善を施すが、これは福祉ではない。福祉とは、大河内一男東大総長が言ったように、資本主義が体制維持のために実施する施策なのだから。彼は、頼まれると町長選挙では、インチキ男の日守新一を応援し彼が当選してしまい、友人坊主の清川荘司は落選してしまうが、日守は、選挙違反で捕まってしまい、清川が村長になる。最後、大河内の財産はなくなり、売り払われて入札されているところで終わる。
戦後、地主が没落したのは、大河内のような蕩尽ではなく、言うまでもなく「農地改革」である。これで、大土地所有がなくなり自作農ができ、農村の保守化が進み、自民党体制の基礎になる。戦前は、日本でも農民運動が非常に盛んで、小作争議が多数あり、日本労農党という社会主義政党があったくらいだ。この農地改革は、新憲法制定とともに、GHQの指令で行われたと言われる。だが、実際はそうではなく、戦前から国の官僚たちによって検討されてきた施策が、GHQの力で実施されたというのが正しく、それは労働3法の制定もそうで、日本国憲法も、ややそれに近い。「新憲法」制定の時、昭和天皇も反対の意は示さなかったことが、その大きな証拠である。

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