昨日の朝日新聞の夕刊に劇作家秋元松代と彼女の作品のことが出ていた。
その冒頭に、早稲田大学劇団演劇研究会が『常陸坊海尊』を無断上演しようとし、止められて1回しか上演できなかったとある。
50年前の朝日新聞の記事はそうで、その朝私は非常にびっくりした。
すでに劇団はやめていたが、一応部室には時々行っていて事情は聞いていたからだ。
「芸術に学割はない」とし、さらに無断上演が相次いだとのことで、まるで劇団が無料で上演しようとしたかのように取れるに違いない。
だが、早稲田の劇団の連中は、「上演料は当然きちんと払います」と申し入れていたのだ。
この無断上演云々は、実はこのことではなく、秋元が書いて出されていた「一幕劇集」のことだと思う。
当時、彼女の戯曲は、未来社から「一幕劇集」として出されていて、高校演劇等で無料で上演されていたのだと思う。
私は、高校でも演劇をやっていたが、シェークスピアと、部員がある小説をアレンジした戯曲だったので、著作権の問題はなかった。
当時、高校演劇界では、自分たちの上演に著作権料を払うという意識はほとんどなく、その意味では秋元作品は無断上演されていたと思う。
だが、早稲田の劇研での上演拒否は、簡単にいえば「お前たちのような未熟な連中には上演させないよ」ということだったと私は推測する。
理由がどうあれ、作者には著作者人格権があり、たとえ料金を払っても、作者が駄目と言えば駄目なのだ。
このとき、秋元さんは「あの戯曲は私のもので、誰にも渡さない!」と言ったそうだ。
事実、戯曲座というところが上演したそうだが、結果はあまり良くなかったらしく、それが遠因で、演劇座は解散になる。
私は、それを見ていないが、見た者の言だと、かなりひどいものだったとのこと。
要は、秋元の『常陸坊海尊』は、当時の日本の演劇界では、上演しにくい戯曲だった。
というのも、秋元松代の兄の秋元不二男は、著名な俳人だが、左翼で逮捕されたこともある方だった。
戦後、秋元松代は、作家三好十郎の下で戯曲を書くが、三好自身が左翼的ではあるが、非共産党という立場にいた人だった。
かの吉本隆明が「影響を受けた作家」として三好十郎をあげていると言えば、その意味がわかるだろうか。
『常陸坊海尊』も、根底には左翼的な思想があるが、主人公のお婆は、いわゆる祝詞女だが、「自分は常陸坊と関係している」という信じがたい女性ななのだ。
通常の左翼的発想で演技できる女性像ではないのであり、その意味では、この記事に出ているように既存の有名な新劇団から上演を拒否されたというのも当然なのだ。つまり普通のリアリズムでは演技できない女性役なのだ。
あれから50年とあったが、もうそんな時代なのか、驚く。
彼女は映画のシナリオも書いていて、大庭秀雄監督の『女舞』は、非常に良い作品だったと思う。
その冒頭に、早稲田大学劇団演劇研究会が『常陸坊海尊』を無断上演しようとし、止められて1回しか上演できなかったとある。
50年前の朝日新聞の記事はそうで、その朝私は非常にびっくりした。
すでに劇団はやめていたが、一応部室には時々行っていて事情は聞いていたからだ。
「芸術に学割はない」とし、さらに無断上演が相次いだとのことで、まるで劇団が無料で上演しようとしたかのように取れるに違いない。
だが、早稲田の劇団の連中は、「上演料は当然きちんと払います」と申し入れていたのだ。
この無断上演云々は、実はこのことではなく、秋元が書いて出されていた「一幕劇集」のことだと思う。
当時、彼女の戯曲は、未来社から「一幕劇集」として出されていて、高校演劇等で無料で上演されていたのだと思う。
私は、高校でも演劇をやっていたが、シェークスピアと、部員がある小説をアレンジした戯曲だったので、著作権の問題はなかった。
当時、高校演劇界では、自分たちの上演に著作権料を払うという意識はほとんどなく、その意味では秋元作品は無断上演されていたと思う。
だが、早稲田の劇研での上演拒否は、簡単にいえば「お前たちのような未熟な連中には上演させないよ」ということだったと私は推測する。
理由がどうあれ、作者には著作者人格権があり、たとえ料金を払っても、作者が駄目と言えば駄目なのだ。
このとき、秋元さんは「あの戯曲は私のもので、誰にも渡さない!」と言ったそうだ。
事実、戯曲座というところが上演したそうだが、結果はあまり良くなかったらしく、それが遠因で、演劇座は解散になる。
私は、それを見ていないが、見た者の言だと、かなりひどいものだったとのこと。
要は、秋元の『常陸坊海尊』は、当時の日本の演劇界では、上演しにくい戯曲だった。
というのも、秋元松代の兄の秋元不二男は、著名な俳人だが、左翼で逮捕されたこともある方だった。
戦後、秋元松代は、作家三好十郎の下で戯曲を書くが、三好自身が左翼的ではあるが、非共産党という立場にいた人だった。
かの吉本隆明が「影響を受けた作家」として三好十郎をあげていると言えば、その意味がわかるだろうか。
『常陸坊海尊』も、根底には左翼的な思想があるが、主人公のお婆は、いわゆる祝詞女だが、「自分は常陸坊と関係している」という信じがたい女性ななのだ。
通常の左翼的発想で演技できる女性像ではないのであり、その意味では、この記事に出ているように既存の有名な新劇団から上演を拒否されたというのも当然なのだ。つまり普通のリアリズムでは演技できない女性役なのだ。
あれから50年とあったが、もうそんな時代なのか、驚く。
彼女は映画のシナリオも書いていて、大庭秀雄監督の『女舞』は、非常に良い作品だったと思う。