定額給付金の書類が来たので、ありがたくいただく旨にして変奏するが、返送先は神奈川区浦島町の日本郵政のビルだった。
ここは、出田町ふ頭の入口で、当初は郵便番号システムの施設だったが、様々な用途に使われているようだ。
この施設の開業式に行ったことを思いだした。
それは、副議長だった川俣勝一先生に随行して行った。
本来は、議長の鈴木喜一先生が出るべきものだが、神奈川区は川俣先生の地元なので鈴木先生が譲ったのだと思う。
川俣さんは、元国鉄職員だったが、神奈川区には国鉄の機関区があり、多くの国労職員がいた。
たしか、映画評論家の佐藤忠男さんも、敗戦後国鉄の職員になり、神奈川機関区で働いていたそうだ。
だが、下山、三鷹、松川事件に象徴される国鉄の大量首切りで、佐藤さんも解雇されたとのこと。
その基準は、所帯持ち、勤務期間の長短で、解雇されたのだそうで、独身で勤務期間も短かった佐藤さんは、すぐに解雇されたとのこと。
佐藤さんが、神奈川機関区で勤務していたのは、映画好きの佐藤さんは、横浜には松竹大船撮影所があったためで希望したとのことである。
ここは、出田町ふ頭の入口で、当初は郵便番号システムの施設だったが、様々な用途に使われているようだ。
この施設の開業式に行ったことを思いだした。
それは、副議長だった川俣勝一先生に随行して行った。
本来は、議長の鈴木喜一先生が出るべきものだが、神奈川区は川俣先生の地元なので鈴木先生が譲ったのだと思う。
川俣さんは、元国鉄職員だったが、神奈川区には国鉄の機関区があり、多くの国労職員がいた。
たしか、映画評論家の佐藤忠男さんも、敗戦後国鉄の職員になり、神奈川機関区で働いていたそうだ。
だが、下山、三鷹、松川事件に象徴される国鉄の大量首切りで、佐藤さんも解雇されたとのこと。
その基準は、所帯持ち、勤務期間の長短で、解雇されたのだそうで、独身で勤務期間も短かった佐藤さんは、すぐに解雇されたとのこと。
佐藤さんが、神奈川機関区で勤務していたのは、映画好きの佐藤さんは、横浜には松竹大船撮影所があったためで希望したとのことである。