ネットで、昔の『題名のない音楽会』を見て、これが嫌いになった理由を思いだした。
気障な黛敏郎の言い口は気になっていたが、中身は大変に面白いので、12チャンネル時代から見ていた。
その後現在に至るまで、長くテレビ朝日で放映されているので、元は東京12チャンネルで放送されていたことなど、皆知らないに違いないが、初めは12チャンネルだったのだ。
だが、あるころから見るのが嫌になった。
その理由が今回見てよくわかった。それは、ある時期のこの番組の冒頭のことだ。
それは、ソリストがジャズの『聖者が町にやって来る』のメロディーを演奏しながら、客席から舞台へ上がり、そしてオーケストラ全体の演奏になる。
これが、当時毎回のことだった。
私は、この『聖者が町にやって来る』が嫌いで、当時はジャズと言うと、この曲で参ったものだった。
いかにこの曲がジャズを象徴していたかは、ロマンポルノ最登板になる1966年の西村昭五郎の作品に、ジュディ・オング主演の『涙くん、さよなら』がある。
これは、ベトナム戦争で父を失ったジュディが、日本人の母親を探して日本に来ると言う映画で、結構面白かった。
冒頭の米国の家で遊んでいる(実際は、横田基地あたりで撮影したと思うが)ジュディが、友達と歌っているのが、『聖者の行進』で、1960年代なのに、なぜフォークかロックではないのか、と思ったのだ。
その程度に、1960年代は、ジャズと言えば『聖者の行進』で、これは違うと黛先生ともあろうものがと思い、見るのがいやになったのだ。
気障な黛敏郎の言い口は気になっていたが、中身は大変に面白いので、12チャンネル時代から見ていた。
その後現在に至るまで、長くテレビ朝日で放映されているので、元は東京12チャンネルで放送されていたことなど、皆知らないに違いないが、初めは12チャンネルだったのだ。
だが、あるころから見るのが嫌になった。
その理由が今回見てよくわかった。それは、ある時期のこの番組の冒頭のことだ。
それは、ソリストがジャズの『聖者が町にやって来る』のメロディーを演奏しながら、客席から舞台へ上がり、そしてオーケストラ全体の演奏になる。
これが、当時毎回のことだった。
私は、この『聖者が町にやって来る』が嫌いで、当時はジャズと言うと、この曲で参ったものだった。
いかにこの曲がジャズを象徴していたかは、ロマンポルノ最登板になる1966年の西村昭五郎の作品に、ジュディ・オング主演の『涙くん、さよなら』がある。
これは、ベトナム戦争で父を失ったジュディが、日本人の母親を探して日本に来ると言う映画で、結構面白かった。
冒頭の米国の家で遊んでいる(実際は、横田基地あたりで撮影したと思うが)ジュディが、友達と歌っているのが、『聖者の行進』で、1960年代なのに、なぜフォークかロックではないのか、と思ったのだ。
その程度に、1960年代は、ジャズと言えば『聖者の行進』で、これは違うと黛先生ともあろうものがと思い、見るのがいやになったのだ。