民芸の新作『白い花』の舞台は、愛媛県今治の奥の農村で、1960年代後半のことである。
その家には、父親柚木徹男(杉本孝治)と40に近い長女の百合(中地美佐子)の二人が住んでいる。私の知り合いに今治出身の人がいるが、高卒後東京で大学を出て、その後も全国で働かれた方だが、その言動を見ていると「今治は関西文化圏だな」という感がする。
作者のナガイヒデミは、おそらく今治付近の生まれらしく、前作『送り火』も、四国の奥の山村でおきる物語だった。
村の祭りが近づく5月の午後、30年前に死んだ百合たちの母親の法要に、寺の僧侶(千葉茂則)が来て、お経を上げたところ。
そこには、百合の叔母柳田麦(別府康子)も来ているが、その用事は法事よりも百合の縁談で、何枚もの見合写真を持参している。
麦の姉が、百合の母で、イネというのだから、有馬稲子とその類似から「お麦」と呼ばれた芦川いづみのことみたいで笑えた。
そのイネは、次女の菜(飯野遠)を生んだ時、産後の肥立ちが悪くて死んだが、その菜は、温厚な百合と正反対で何事にも積極的で駆け落ちのように村の男奥山俊満(天津民生)と町に出て行った。
先日、その菜が、麦のところに「金を貸してくれ」と来たという。
その奥村俊満は、もともとは百合と親しかったのだが、運命のいたずらで、妹の菜と村を出て行ってしまったのだ。
1幕と2幕の途中までは、こうした筋と人間関係の説明なので、少々退屈し「どこにドラマがあるの・・・」と言いたくなった。
だが、その菜が戻ってきて、昔の経緯や、姉と自分との違い、高校生の時、夜遅くなって警察に補導されたことを思いだす段になって面白くなった。
町で少し遅くなったので補導されたとき、姉の百合は「大きなマスクをして迎えに来てくれた!」というのには笑ってしまった。
小津安二郎の『東京暮色』で、深夜喫茶にいた有馬稲子が、刑事の宮口清二に補導され、姉の原節子が大きな白いマスクをして警察に迎えにきたことではないかと。
この作者の日常的な劇、台詞、兄弟姉妹などの人間関係へのこだわりの裏には、たんぶん小津安二郎や成瀬巳喜男からの影響があるように見えた。
そして、最後は、村を出て町で働くが体を壊した奥山は、菜とともに村に戻り、元の家業だった商売を継ぎ、百合も叔母の勧める見合いをすることになり、ハッピーエンド的に終わる。
ただ、この劇を見ていて疑問に思ったのは、百合は「やっと洗濯機に続き冷蔵庫を買った」と言っていることで、床の間にテレビはなく古いラジオが鎮座していた。
愛媛には、1950年代にNHKの他、民放局(南海放送)も開業しているのだが、テレビへの視聴熱は低かったのだろうか。あるいは、その程度に貧困な地域だったのだろうか、地元出身の作者の記憶が正しいのだろうと思う。
中地美佐子は、声が良いことにあらためて気が付いた。
ただ、この親爺役の杉本と千葉は、共に大男で感じがよく似ていて、はじめ千葉が出ていて、しばらくして杉本が出てきたので、「これは二役なのか」と思ったほどで、この二人の役は、容貌は異なる俳優の方が良かったと思った。
紀伊国屋サザンシアター
その家には、父親柚木徹男(杉本孝治)と40に近い長女の百合(中地美佐子)の二人が住んでいる。私の知り合いに今治出身の人がいるが、高卒後東京で大学を出て、その後も全国で働かれた方だが、その言動を見ていると「今治は関西文化圏だな」という感がする。
作者のナガイヒデミは、おそらく今治付近の生まれらしく、前作『送り火』も、四国の奥の山村でおきる物語だった。
村の祭りが近づく5月の午後、30年前に死んだ百合たちの母親の法要に、寺の僧侶(千葉茂則)が来て、お経を上げたところ。
そこには、百合の叔母柳田麦(別府康子)も来ているが、その用事は法事よりも百合の縁談で、何枚もの見合写真を持参している。
麦の姉が、百合の母で、イネというのだから、有馬稲子とその類似から「お麦」と呼ばれた芦川いづみのことみたいで笑えた。
そのイネは、次女の菜(飯野遠)を生んだ時、産後の肥立ちが悪くて死んだが、その菜は、温厚な百合と正反対で何事にも積極的で駆け落ちのように村の男奥山俊満(天津民生)と町に出て行った。
先日、その菜が、麦のところに「金を貸してくれ」と来たという。
その奥村俊満は、もともとは百合と親しかったのだが、運命のいたずらで、妹の菜と村を出て行ってしまったのだ。
1幕と2幕の途中までは、こうした筋と人間関係の説明なので、少々退屈し「どこにドラマがあるの・・・」と言いたくなった。
だが、その菜が戻ってきて、昔の経緯や、姉と自分との違い、高校生の時、夜遅くなって警察に補導されたことを思いだす段になって面白くなった。
町で少し遅くなったので補導されたとき、姉の百合は「大きなマスクをして迎えに来てくれた!」というのには笑ってしまった。
小津安二郎の『東京暮色』で、深夜喫茶にいた有馬稲子が、刑事の宮口清二に補導され、姉の原節子が大きな白いマスクをして警察に迎えにきたことではないかと。
この作者の日常的な劇、台詞、兄弟姉妹などの人間関係へのこだわりの裏には、たんぶん小津安二郎や成瀬巳喜男からの影響があるように見えた。
そして、最後は、村を出て町で働くが体を壊した奥山は、菜とともに村に戻り、元の家業だった商売を継ぎ、百合も叔母の勧める見合いをすることになり、ハッピーエンド的に終わる。
ただ、この劇を見ていて疑問に思ったのは、百合は「やっと洗濯機に続き冷蔵庫を買った」と言っていることで、床の間にテレビはなく古いラジオが鎮座していた。
愛媛には、1950年代にNHKの他、民放局(南海放送)も開業しているのだが、テレビへの視聴熱は低かったのだろうか。あるいは、その程度に貧困な地域だったのだろうか、地元出身の作者の記憶が正しいのだろうと思う。
中地美佐子は、声が良いことにあらためて気が付いた。
ただ、この親爺役の杉本と千葉は、共に大男で感じがよく似ていて、はじめ千葉が出ていて、しばらくして杉本が出てきたので、「これは二役なのか」と思ったほどで、この二人の役は、容貌は異なる俳優の方が良かったと思った。
紀伊国屋サザンシアター