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Channel: 指田文夫の「さすらい日乗」
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『シベリア人の世界』

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土本と言えば、水俣病となるが、彼はもちろん、多様な作品を撮っている。
これはテレビでの放映を目指したもので、紀行映画的になっているのは珍しい。
1967年11月は、ロシア革命50年で、全国でも関連行事が行われるとのことで取材に行ったのだ。
その理由は、土本典昭自身が、1950年代は日本共産党員で、武装闘争時代は、山村工作隊に従事したように、ロシア革命とその後について非常な興味があったからだ。
まず、都市の工場に行く、学生建設隊から始まる。大学生が夏休みに工場等で働き、労働するもので、この時期全ロシアで行われていたようだ。
これは、強制ではなく、ある大学生のボランティア活動から始まったとのことだが、一応報酬が出るようで、大学生の夏休みのアルバイト的にも見える。
工場や道路建設現場が取材されているが、大学生と現場労働者との間には、格差があるように見える。
次にシベリア開発のために拠点として作られている都市になる。
まったくの荒野を開発し、大学、研究所、小中学校、団地、育児施設、文化施設等がどんどんと作られている。
それは、1958年に木下恵介が作った、北九州の八幡製鉄の町を舞台にした映画『この天の虹』を思いださせた。
1960年代の高度成長期の都市の姿には共通したものがあったのか。
当時のソ連では、学者、研究者が一番評価されていた。資本主義的科学に代わる科学として様々な分野で成果が強調されていた。
ミチューリン農法などと言う変なものもあり、遺伝を否定する学説もあったほどだ。
ここで一番面白かったのは、24歳の潜水夫の夫と20歳の電気修理工の女性との結婚で、それは町の結婚宮殿で役人の立会の下で行われる。
そして、結婚には届けてから1か月の期間をおいて許可されるのは、一応の猶予、冷静となる期間で、離婚増加を防ぐものというのは面白い。
今はどうか知らないが、ソ連は離婚率の高い国で、これは女性がみな職をえていることも大きな理由だったと思う。

そして、撮影隊はシベリアのヤクート人の村に行く。ヤクート人は、アジア系の人間でトナカイを育て、毛皮や骨を売って生計を立てている。
古い、革命以前の生活が行われていることが分かる。
そして、11月7日の記念日になる。モスクワでは大々的な軍事パレードが行われているが、シベリアの小さな村でも、独ソ戦で亡くなった死者への慰霊碑の除幕式とパレードが行われている。
11月7日の夜、赤の広場に排除されていた市民が大挙して来て、それぞれが楽しむ。

                

ここで踊られているのがジェンカダンスで、同じ1967年日活の『紅の流れ星』でも、渡哲也がジェンカを踊っていた。
要は、大衆文化では、ソ連も日本も同時代的であったことがよくわかった。
国立映画アーカイブ


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