正月映画で、期待していたのがこれで、一般の方もそうだったようで、上大岡東宝シネマズはほとんど一杯だった。
だが、冒頭で変な声が聴こえるので、「これは・・・」と思うと桑田佳祐で、少々違和感を感じる。
さすがに山田洋次監督作品なので、上手くできている。
だが、結局は、元リリーの浅丘ルリ子と最後に出てくる、ゴクミの泉の父親の橋爪功しか見るべき演技とドラマはないと思う。
これを見て、あらためて思ったのは、渥美清の演技の特異性である。
彼の台詞は、いつも歌っているように聞こえる。それは、伊藤大輔やマキノ正博の映画の役者の演技が、いつも踊りであるのと同様なことだと思う。
だから、彼の台詞は、他の役者に比べていつも際立って聞こえるのだ。
それは、伊藤大輔やマキノ正博の映画での俳優の演技が踊りであるように、伝統的な、歌舞伎などの演技方法と同じである。
もちろん、渥美は、元が舞台俳優なので、芝居的な演技を身に着けているが、それを彼は自然に聴こえるように変えている。
森繁久彌もそうだが、彼らは舞台的な演技を映画やテレビ等で不自然にならないようにしているわけだ。
さて、やはり各処で挿入される元の作品を見て思うのは、渥美の他、森川信の上手さと、津坂匡章(秋野大作)の良さである。
1969年11月、『男はつらいよ』の1作目を蓮沼のヒカリ座で見た。併映は、日活の『ヤクザ非情史』と東映の『お勝凶状旅』だった。
前日は、佐藤首相訪米阻止闘争が蒲田駅周辺で行われた日で、それを「防衛した」蒲田自警団の若者が、映画館で寝ていた。
当時、夜中を過ごせる場所は、ネット喫茶もなかったので、オールナイトの映画館くらいしかなかったからである。
『男はつらいよ』については、特に強い印象もなかったが、渥美清の弟分となる津坂については、非常にいいなと思った。
この二人のように、「地方をさすらうのは、非常にいいな」とあこがれたものである。
だが、冒頭で変な声が聴こえるので、「これは・・・」と思うと桑田佳祐で、少々違和感を感じる。
さすがに山田洋次監督作品なので、上手くできている。
だが、結局は、元リリーの浅丘ルリ子と最後に出てくる、ゴクミの泉の父親の橋爪功しか見るべき演技とドラマはないと思う。
これを見て、あらためて思ったのは、渥美清の演技の特異性である。
彼の台詞は、いつも歌っているように聞こえる。それは、伊藤大輔やマキノ正博の映画の役者の演技が、いつも踊りであるのと同様なことだと思う。
だから、彼の台詞は、他の役者に比べていつも際立って聞こえるのだ。
それは、伊藤大輔やマキノ正博の映画での俳優の演技が踊りであるように、伝統的な、歌舞伎などの演技方法と同じである。
もちろん、渥美は、元が舞台俳優なので、芝居的な演技を身に着けているが、それを彼は自然に聴こえるように変えている。
森繁久彌もそうだが、彼らは舞台的な演技を映画やテレビ等で不自然にならないようにしているわけだ。
さて、やはり各処で挿入される元の作品を見て思うのは、渥美の他、森川信の上手さと、津坂匡章(秋野大作)の良さである。
1969年11月、『男はつらいよ』の1作目を蓮沼のヒカリ座で見た。併映は、日活の『ヤクザ非情史』と東映の『お勝凶状旅』だった。
前日は、佐藤首相訪米阻止闘争が蒲田駅周辺で行われた日で、それを「防衛した」蒲田自警団の若者が、映画館で寝ていた。
当時、夜中を過ごせる場所は、ネット喫茶もなかったので、オールナイトの映画館くらいしかなかったからである。
『男はつらいよ』については、特に強い印象もなかったが、渥美清の弟分となる津坂については、非常にいいなと思った。
この二人のように、「地方をさすらうのは、非常にいいな」とあこがれたものである。