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Channel: 指田文夫の「さすらい日乗」
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『オリンピア』 前畑はなし

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1936年、ベルリンオリンピックの記録映画、記録とは言っても演出が非常に多く、また監督レニー・リーフェンシタールの好みではない選手は出てこない。

                

日本では、『民族の祭典』『美の祭典』として公開され大ヒットしたが、その冒頭はどちらも、男性ヌードである。
前者では、ギリシャで聖火を採火してリレーする男たち、後者では陸上競技の練習の後に湖に飛び込み、さらにサウナで裸の体を葉っぱでたたき合う男たち。
要は、ホモセクシュアルのような男性の筋肉美の賛美であり、女性は排除されている。
だから、ベルリンオリンピックと言えば、日本では「前畑がんばれ」の前畑の水泳金メダルだが、どちらにもない。

マラソンの孫選手の金メダルはさすがにあるが。言うまでもなく、孫は韓国人だが、当時は日本統治下だったので、君が代が流れる。
この孫選手の走りにも、事前か、事後に撮ったフィルムが挿入されていることが分かった。
棒高跳びのアメリカと日本選手2人のメダル争いも、翌日に再現して撮ったものだが、それは試合が長引き、ライトの光量が不足して撮影できなかったためだという。

このオリンピックは、日本ではラジオ放送され、永井荷風も銀座の街頭放送で聞いていて、やや迷惑な感じで記述している。
この4年後の1940年は、東京オリンピックの予定だったが、日中戦争の深刻化で、開催は返上され、代わって「紀元2600年祭」になる。
古川ロッパは、オリンピック開催を大喜びし『東京オリムピック』を歌っているように、1930年代は、日本の西欧化のピークの時期だった。
だが、この「紀元2600年祭」への東京オリンピックの変化に象徴されるように、日本は西欧化から日本文化への転換されてしまうのである。

国立映画アーカイブ

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