1948年の木下恵介監督作品、主演は池部良、桂木洋子、宇野重吉、脚本は久板栄次郎。
原作は言うまでもなく島崎藤村で、被差別民の瀬川丑松が、自分の身分を明かす苦悩と周辺の偏見を描いている。
冒頭で、桂木の父で教員の菅井一郎が、首になる件がある。校長の東野英治郎の県への追従で、あとすぐで年金が付くはずの菅井は、首になってしまう。だが、元武家の菅井は、武士であることに異常な誇りを持っている偏見のひどい人物としてされ、桂木と池部の関係にも反対である。
武士の家の者が、平民の男と一緒になるのは許せないのだ。
次第に、池部が被差別部落の出身であることが明かされて行き、議員の小沢栄太郎などの悪役が上手いので劇は盛り上がる。
「四民平等」の演説会を開こうとする滝澤修は、暴民に襲われて死んでしまう。
学校で、池部の身分を明かそうとする集会が開かれ、その場で池部は自分が被差別部落の出身であることを明かし、学校を辞め、運動に専心すると言う。
飯山を出ていく池部を桂木は追い、二人は結ばれることを示唆して終わり。
この映画は、実は東宝で池部主演で撮影が開始されたが、途中で東宝争議が激化してストップしてしまい、松竹に移行したものであるのはよく知られている。
だが、不思議なのは、この東宝での監督が阿部豊だったことで、彼は決して人権意識の強い人とは思えないからだ。
その意味では、阿部監督で作られたらどのようになったのか、興味あるところだからだ。
衛星劇場
原作は言うまでもなく島崎藤村で、被差別民の瀬川丑松が、自分の身分を明かす苦悩と周辺の偏見を描いている。
冒頭で、桂木の父で教員の菅井一郎が、首になる件がある。校長の東野英治郎の県への追従で、あとすぐで年金が付くはずの菅井は、首になってしまう。だが、元武家の菅井は、武士であることに異常な誇りを持っている偏見のひどい人物としてされ、桂木と池部の関係にも反対である。
武士の家の者が、平民の男と一緒になるのは許せないのだ。
次第に、池部が被差別部落の出身であることが明かされて行き、議員の小沢栄太郎などの悪役が上手いので劇は盛り上がる。
「四民平等」の演説会を開こうとする滝澤修は、暴民に襲われて死んでしまう。
学校で、池部の身分を明かそうとする集会が開かれ、その場で池部は自分が被差別部落の出身であることを明かし、学校を辞め、運動に専心すると言う。
飯山を出ていく池部を桂木は追い、二人は結ばれることを示唆して終わり。
この映画は、実は東宝で池部主演で撮影が開始されたが、途中で東宝争議が激化してストップしてしまい、松竹に移行したものであるのはよく知られている。
だが、不思議なのは、この東宝での監督が阿部豊だったことで、彼は決して人権意識の強い人とは思えないからだ。
その意味では、阿部監督で作られたらどのようになったのか、興味あるところだからだ。
衛星劇場