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Channel: 指田文夫の「さすらい日乗」
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『金子文子と朴烈』

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今週だけというので、横浜シネマリンに行く。
大正時代、朝鮮人の車夫朴烈が、日本人を乗せ、料金を言うと、銭がばら蒔かれ、拾って2銭不足しているが踏み倒され、
「仕事が欲しければ、朝鮮に帰れ、ここは内地だ!」と言われる。
今のネット右翼から丸山穂高らまでの論理と同じで、彼らは大正時代の認識、差別意識から変わっていないのだ。

          

朴の書いて詩に感激して、金子文子が来て、すぐに好きあって同棲し、朝鮮独立運動にのめり込んでゆく。
彼らは、共産主義者ではなく、アナーキストで、この大正期は、日本でもアナーキストと共産主義者との間には論争があり、組織、運動も別に損在していた。
昭和に入り、ロシア革命の成功と、東大新人会などの力によって急速に日本共産党が有力になるが、それまではむしろアナーキズムの方が優勢だった。

これを見て感じるのは、予防検束中に、大逆事件の疑いが出るが、担当検事が「精神鑑定」を主張するように、文子や朴烈の言動は、非常識で異常だが、同時に権力側も前近代的で異常だったことだ。
要は、市民社会的常識以前の運動と弾圧だったということだろう。
関東大震災の混乱の中で、大逆罪が適用され、共に死刑が宣告される。これはほとんど冤罪だが、朴烈には、国に対して驚くことをしてみたいという気もあったようだ。

金子文子は、膨大な自伝を書いた後に刑務所で自殺してしまう。
朴烈は、戦後まで生き残り、韓国、さらに北朝鮮に行って死んだようだ。
音楽が、SP『ラ・パロマ』で、世界で最初のポピュラー音楽と言われるこの曲は、朝鮮でもヒットしていたわけだ。

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