一昨日に見た藤田敏八監督の『新宿アウトロー・ぶっ飛ばせ』だが、ノートを見ると3年後に池袋の文芸地下で見ている。
沢田幸弘監督の『濡れた荒野を走れ』と2本立てだった。
私は、この頃藤田敏八が一番好きだった。
その軽さ、自由さ、とりとめのなさなどだったと思う。
だが、友人の下川博にそれを言うと、「それは映画だから可能なことで、(当時我々が一緒にやっていた)演劇では無理」とのことだった。
その通りだが、よく考えると、藤田敏八は、大学時代は劇団俳優座にいて、役者をやっていた。
その1950年代中頃は、サミュエル・ベケットが日本で紹介されたころで、多分彼はベケットから大きな影響を受けたはずなのだ。
ベケットの、筋の展開がよくわからず、とりとめがなく進んで行き、いきなり破局に行く。
こうした「不条理性」は、藤田敏八の作品の根底にも影響していると思うのだ。
そして、興味深いのは、脚本に娯楽作品のライターが入っている映画『赤い鳥、逃げた』のような映画のほうが面白いのは、なぜなのだろうか。
脚本家と監督の相補的な関係というべきだろうか。
沢田幸弘監督の『濡れた荒野を走れ』と2本立てだった。
私は、この頃藤田敏八が一番好きだった。
その軽さ、自由さ、とりとめのなさなどだったと思う。
だが、友人の下川博にそれを言うと、「それは映画だから可能なことで、(当時我々が一緒にやっていた)演劇では無理」とのことだった。
その通りだが、よく考えると、藤田敏八は、大学時代は劇団俳優座にいて、役者をやっていた。
その1950年代中頃は、サミュエル・ベケットが日本で紹介されたころで、多分彼はベケットから大きな影響を受けたはずなのだ。
ベケットの、筋の展開がよくわからず、とりとめがなく進んで行き、いきなり破局に行く。
こうした「不条理性」は、藤田敏八の作品の根底にも影響していると思うのだ。
そして、興味深いのは、脚本に娯楽作品のライターが入っている映画『赤い鳥、逃げた』のような映画のほうが面白いのは、なぜなのだろうか。
脚本家と監督の相補的な関係というべきだろうか。