1954年の松竹映画、笠智衆が学校の柔道の先生で、彼の娘月丘夢路と笠の弟子の三橋達也、須賀不二男、三島耕、須賀の妹でピアニストの草笛光子らのメロドラマ。
筋は結構こみいっていて、月丘は三橋が好きだが、三橋は草笛から思われて、行動的な草笛に押されて婚約してしまう。
だが、草笛を狙っている金融業者の諸角啓二郎がいて、須賀は、父親から継いだ会社の社長だが、事業に苦労していて諸角から金を借りていて、諸角は草笛との結婚させてくれれば借金をなくすと脅している。
三橋が、国語の教師で貧乏だとか、西欧的な草笛と日本的な月丘との対比等いろいろあるが、どこか散漫。
最後は、月丘は三橋と、三島は草笛と結ばれ、諸角は、悪事を暴かれていずれ逮捕されることが示唆されて終わり。
筋が散漫な原因は、原作が雑誌の連載なので、クライマックスを次々に作っているからだが、もう一つ悪役が諸角のみで、他は善人なのでドラマは盛り上がらない。
原作、脚本の沢村務は、戦中期は、強い反米英で、戦意高揚を歌ったが、戦後は通俗的メロドラマに転向した者である。
ただ、注目されるのは、恋人たちのすれ違いの思いの交差は、小津安二郎の遺作『秋刀魚の味』の岩下志麻の吉田輝男への密かな思いを感じさせることなど。それをとんかつ屋で三島に、三橋が聞いてやるなどは、『秋刀魚の味』で岩下の兄佐田啓二が、吉田にトンカツ屋で確かめる件に類似している。
監督の原研吉は、松竹で小津の助監督だったのだが、ここでは小津は、弟子の原の作品から余計なものを取り去っているように思える。
小津の『秋刀魚の味』では、岩下志麻は、笠の薦める見合い話にのって結婚するが、なんとその相手は一切出てこない。
要は、「相手がどうだこうだとのことは意味がない」と小津安二郎は、言っているのだと私は思うのだ。
その意味では、この小津の弟子の作品は、小津に劇の純化へのヒントを与えたと思うのである。
役者では、三島が下手なので参るが、彼を含め、三橋達也、月丘夢二は、みな松竹から日活に移籍し、新しい映画を作ることになる。
衛星劇場
筋は結構こみいっていて、月丘は三橋が好きだが、三橋は草笛から思われて、行動的な草笛に押されて婚約してしまう。
だが、草笛を狙っている金融業者の諸角啓二郎がいて、須賀は、父親から継いだ会社の社長だが、事業に苦労していて諸角から金を借りていて、諸角は草笛との結婚させてくれれば借金をなくすと脅している。
三橋が、国語の教師で貧乏だとか、西欧的な草笛と日本的な月丘との対比等いろいろあるが、どこか散漫。
最後は、月丘は三橋と、三島は草笛と結ばれ、諸角は、悪事を暴かれていずれ逮捕されることが示唆されて終わり。
筋が散漫な原因は、原作が雑誌の連載なので、クライマックスを次々に作っているからだが、もう一つ悪役が諸角のみで、他は善人なのでドラマは盛り上がらない。
原作、脚本の沢村務は、戦中期は、強い反米英で、戦意高揚を歌ったが、戦後は通俗的メロドラマに転向した者である。
ただ、注目されるのは、恋人たちのすれ違いの思いの交差は、小津安二郎の遺作『秋刀魚の味』の岩下志麻の吉田輝男への密かな思いを感じさせることなど。それをとんかつ屋で三島に、三橋が聞いてやるなどは、『秋刀魚の味』で岩下の兄佐田啓二が、吉田にトンカツ屋で確かめる件に類似している。
監督の原研吉は、松竹で小津の助監督だったのだが、ここでは小津は、弟子の原の作品から余計なものを取り去っているように思える。
小津の『秋刀魚の味』では、岩下志麻は、笠の薦める見合い話にのって結婚するが、なんとその相手は一切出てこない。
要は、「相手がどうだこうだとのことは意味がない」と小津安二郎は、言っているのだと私は思うのだ。
その意味では、この小津の弟子の作品は、小津に劇の純化へのヒントを与えたと思うのである。
役者では、三島が下手なので参るが、彼を含め、三橋達也、月丘夢二は、みな松竹から日活に移籍し、新しい映画を作ることになる。
衛星劇場