ラピュタで上映されている添物映画特集は、日頃見られない物が見られて大変にうれしい。
だが、解説には少し間違いがある。
それは、こうした添物作品の発祥を1952年の松竹の「シスター映画」で、その後東映の『新諸国物語シリーズ』だとしていることだ。
経緯としては間違いではないが、それ以前に、古くはサイレント時代から映画は1本立てで上映されてきたわけではないのだ。
欧米では、映画の間にオーケストラによってミニ・コンサートのようなイベントが行われるのが普通だった。映画は、もともと寄席のようなバラエティ小屋で始められたのだから当然である。
つまり、日本の寄席では次から次へと演者が現れて芸を披露するが、そうしたものの一つとして映画も上映されていたのである。
要は、映画1本だけでは不満足で、よほどの大作や大スターの作品以外は、他のものを付けて興行されていたのである。
あるいは、実演付きというのもあり、かの「日活アクターズバンド」も、映画館で役者たちが実演をしていたのだ。
そして、1941年の映画法の制定によって、劇映画と共に、文化映画とニュース映画の上映が義務化され、全国の映画館は、劇映画とニュース映画、文化映画(記録映画)の3本を上映するようになる。
もちろん、映画法は、1945年の日本の敗戦で廃止となるが、特にニュース映画は結構人気があり、館によっては、メトロやムービートーン等の海外ニュースを付けている館もあった。
テレビがないのだから、内外の事件、記事を紹介するニュース映画は人気があったのである。
また、夏や正月の休みの時期には、子供向けに漫画映画の上映も行われていて、今の「漫画祭り」と同じである。
そのように、日本の映画館では、1960年代まで、1本ではなく、複数の作品を見せるのが普通だったのである。
そうした中で、添物映画もあったのである。
だが、解説には少し間違いがある。
それは、こうした添物作品の発祥を1952年の松竹の「シスター映画」で、その後東映の『新諸国物語シリーズ』だとしていることだ。
経緯としては間違いではないが、それ以前に、古くはサイレント時代から映画は1本立てで上映されてきたわけではないのだ。
欧米では、映画の間にオーケストラによってミニ・コンサートのようなイベントが行われるのが普通だった。映画は、もともと寄席のようなバラエティ小屋で始められたのだから当然である。
つまり、日本の寄席では次から次へと演者が現れて芸を披露するが、そうしたものの一つとして映画も上映されていたのである。
要は、映画1本だけでは不満足で、よほどの大作や大スターの作品以外は、他のものを付けて興行されていたのである。
あるいは、実演付きというのもあり、かの「日活アクターズバンド」も、映画館で役者たちが実演をしていたのだ。
そして、1941年の映画法の制定によって、劇映画と共に、文化映画とニュース映画の上映が義務化され、全国の映画館は、劇映画とニュース映画、文化映画(記録映画)の3本を上映するようになる。
もちろん、映画法は、1945年の日本の敗戦で廃止となるが、特にニュース映画は結構人気があり、館によっては、メトロやムービートーン等の海外ニュースを付けている館もあった。
テレビがないのだから、内外の事件、記事を紹介するニュース映画は人気があったのである。
また、夏や正月の休みの時期には、子供向けに漫画映画の上映も行われていて、今の「漫画祭り」と同じである。
そのように、日本の映画館では、1960年代まで、1本ではなく、複数の作品を見せるのが普通だったのである。
そうした中で、添物映画もあったのである。