この1969年公開の作品を見た人は、そう多くはないに違いない。
この頃の日活の低迷はひどく、唯一のヒットは『無頼シリーズ』だけで、東映をまねしたやくざ映画、ピンクまがいの『女浮世風呂』など大混乱だった。中で、密かに公開されたのが、この『荒い海』だった。
話は、大学で挫折して故郷に戻ってきた渡哲也は、兄の漁師と喧嘩になるが、先輩の高橋英樹と再会し、彼が乗り組んでいる捕鯨船に乗り込むことになる。
日本水産の協力と言うより、ほとんどPRで作られた作品なのだが、キャッチャーボートの砲手永井智雄の他、渡の母親が荒木道子、高橋の育ての母が本間文子、実の母は左幸子、さらに船に乗り組んで来る新米組は、由利徹以外は、井上昭文、森塚敏、捕鯨長は西村晃と新劇陣営の役者たち。
終わった後に関係者に聞いたところ、製作は真珠舎となっているが、実は日本財団から出ていたとのこと。この日上映されたのは、2時間版だったが、本当は3時間版もあり、そこには笹川良一の演説もあったとのこと。この夜の版でも、筋とは無関係に途中、いきなりガーナのアクラやカナリア諸島で活躍する日本人漁業技術者の話が出てきたが、元の残りのようだ。
予算がふんだんにあったせいか、捕鯨船の撮影は凄い。特にキャッチャーボートの上から撮った映像は今まで見たことのない類のものである。
ただ、題材の南氷洋だけではなく、北西太平洋での捕鯨の映像も混ぜられていて、北洋撮影班として門田龍太郎の名があった。
実際は、福島沖で撮影されたようで、鯨は東京湾にもいるのだから、どこでも撮影できたのだ。
ベテラン砲手の永井智雄が、鯨を射て、母船に引き上げられ、肉が解体される様子もきちんと撮られている。
今では、到底公開できない映像だろうと思う。
途中で、時化になり、1週間取れなくなるが、西村晃の粘りで、最後は鯨の大群に遭遇できる。この西村と永井は、共に戦時中海軍にいて、永井は自分の弟を見捨てて攻撃した西村を憎んでいるが、最後は和解する。
渡は、大学に戻り、卒業後は自分が本当に納得できる会社に行くと決意して終わる。
脚本は、直居欣哉、服部佳、山崎徳次郎の3人で、非常に苦労したことが推測される。
山崎は、赤木圭一郎の傑作『霧笛が俺を呼んでいる』など、娯楽映画の名手だったが、この作品がこけて日活での立場を失い、台湾映画に行くことになったとのこと。
横浜にぎわい座小ホール
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