女優の田中絹代は、次の作品を監督している。
彼女は、日本で最初の女性の長編劇映画監督だった。戦前には、坂根田鶴子が中編『初姿』を撮っていたが、その1本だけで、その後は記録映画監督になり、戦後は溝口健二のスクリプターをやっていた。
田中絹代は、成瀬巳喜男の大映での『あにいもうと』に助監督として付き、「助監督修業」をして丹羽文雄原作の『恋文』の撮影に臨んだ。
恋文横丁は、渋谷西口にあり、今は東急109から山田デンキになっているところで、小さな店がひしめき合っていた。
1970年代にはまだあり、藤田敏八の映画『赤い鳥逃げた?』では、伊佐山ひろ子らが、赤い鳥を飛ばすシーンの背景に見ることができる。
この6本は全部見ているが、私の感想では、最後の『お吟さま』が一番面白いと思う。
作品的には、『月は上がりぬ』(「つきはのぼりぬ」で、「あがりぬ」では嫌らしい意味になるとのこと)が出来は良いが、これはセカンド助監督が小津の助監督だった斎藤武市がお目付け役でいるなど、「もう1本の小津作品」というべきもので、田中映画として評価することは難しいと思う。
『お吟さま』は、細川ガラシャ夫人のことで、有馬稲子が主演し、高山右近は仲代達矢で、千利休は中村鴈治郎、石田光成は南原宏治というキャストである。
撮影は、「宮島天皇」こと宮島義勇で、カメラも凄いと思うが、脚本が成沢昌成なのが作品に寄与していると思う。
興味深いのは、お吟が右近と逃亡する場面で、裸馬に乗せられた女の岸恵子を目撃するシーンがあることだ。
これは、言うまでもなく溝口健二の名作『近松物語』の長谷川一夫と香川京子が裸馬で京の町を引き廻されるシーンであり、それへの尊敬である。やはり、田中絹代は、溝口健二を尊敬していたと思うのだ。
1953.12.13 恋文 新東宝 1955.01.08 月は上りぬ 日活 1955.11.23 乳房よ永遠なれ 日活 1960.01.27 流転の王妃 大映東京 1961.09.05 女ばかりの夜 東京映画 1962.06.03 お吟さま にんじんくらぶ