なんでこんなのを作ったのか、と思う作品。
元は、栗田勇原作の芝居で、ここに出た早大生金沢優子は、「女子大生が裸になった・・・」とのことで話題になり、私も週刊誌のグラビアで見た。1966年頃は、現役女子大生ヌードはまだ珍しかったのだ。後の黒木香とは時代が違う。
私が早稲田の演劇研究会に入った時には、金沢優子さんはすでにいなくて、一度だけどこかの喫茶店で見たことがある。思ったよりも小柄、色白で、大人しそうな女性だった。噂では、その後は編集者になったとのこと。
さて、映画は羽仁進の監督で、主役は入社第一作と出た河原崎健三、彼は大学生で人形劇の一座にいるが、ある夜、不思議な女性円城寺夫人・額村喜美子と運転手・九重京司に案内されて謎の大邸宅に行く。
そこには、夫人の下僕のごとき女の愛奴・末松百合がいて、彼女と河原崎は陶酔的な一夜を過ごす。当時の言葉で表現すれば、めくるめく官能と言った奴だろう。
この表現が実におかしなもので、ハイキーの画面で、超クローズアップの連続なので、結局行為がよくわからない。
要は、筋書き同様に変にもったいぶっているだけで、無内容そのものなのだ。「芸術エロ」としても全くダメ。
公開された1967年は、まだピンク映画しかなく、ATGも『無常』などの芸術エロで大ヒットしたが、こうした作品群は、1971年からの日活ロマンポルノの出現で駄目になる。
芸術エロは、当時の大島渚、吉田喜重、さらに新藤兼人にもあったもので、衰退期の松竹の興行を支えた。
最後、円城寺夫人は東京大空襲で死んでいて、その亡霊がすべてを動かしていたとのばかばかしい謎解きになる。
この映画には、もう一人早稲田大学の劇研関係者がいて、助監督の榛葉光紀さんだった。榛葉さんは、3年上で照明をやっていて卒業後は東映の助監督になったとのことだが、契約助監督だったんだろう、この独立プロにもついたのだ。
俳優では、人形劇団のリーダーが増田貴光なのには驚いたが、声は吹替えのようだ。
その他、冒頭の方で慶応大学の白井健三郎先生が、最後の羽田飛行場のシーンには植草甚一が出ていた。
本当に変な映画だった。
もう1本、鰐淵晴子と姫ゆり子の家出娘映画の『明日はいっぱいの果実』は、大脚本家になった山田太一も、こんなひどいのを書いていたことがあることを証明した作品。
監督の斎藤正夫は、特に才気も感じられず、普通の下の出来で、これをヌーベルバーグの1本に入れるのはあんまりだと思う。
シネマヴェーラ渋谷