日本映像学会の映画文献資料研究会の2018年度「科研費」研究のシンポジウムで、1924年のソ連のジガフェルトフの『キノ・プラウダ20号』、イギリスの1935年の『夜行郵便列車』、フランスの1961年の『ある夏の日』の3本の貴重な記録映画が上映された。
最も興味深かったのは、ソ連のジガフェルトフ監督のサイレント映画『キノ・プラウダ20号』だった。これは、モスクワのピオニール(共産少年団)が農村と動物園に行ったことを描いた作品だった。ピオニールは、鼓笛隊を組織して村に行く。これは、黒澤明の晩年の愚作の『夢』の最後の「水車のある村」の日本共産党・民青と同じパレードであり、戦時中の戦意高揚映画『一番美しく』の光学工場の女工の行進とまったく同様の発想なのだ。そして、村でやる村人の「労働」が薪割りというのだから、これは完全に『七人の侍』である。ジガフェルトフの『カメラを持つ男』は、戦前に輸入公開されたらしいが、『キノ・プラウダ20号』はもちろん、公開されていない。だが、もともとプロレタリア美術同盟にいて、共産党の街頭活動までやって逮捕された黒澤の本質は、プロレタリア芸術家だったことが、ここでも証明された。
『トラ・トラ・トラ』のハリウッドとは上手くできなかったが、多くの困難はあったが、今日で見てみれば地球環境問題などを提起している『デルス・ウザーラ』でのソ連での映画製作が出来た理由もその辺にあったのだろうか。
『夜行郵便列車』は、イギリスのドキュメンタリー運動の傑作の1本で、郵便列車の人々の労働と工夫を描くもので、国民的自覚を促し、啓蒙するものだったようだ。ナレーション原稿には、W・H・オーデンの詩が使用されていて、次第に高揚してゆくのは、まるでラップのようだった。
『ある夏の日』は、フランスのジャン・ルーシュが、社会学者のモランと共同したインタビュー映画で、その手法は、映画というよりも現在のテレビのインタビュー映像の魁をなすものだが、なんと製作が、黒澤、大島渚、寺山修司の映画を作ったアナトール・ドーマンなのには驚く。なぜ、彼のような大プロデューサーが、ルーシュのような「映像民族学」を提唱した非商業的な記録監督の作品に金を出したかは不明である。だが、ドーマンはユダヤ人で、戦時中はナチスの迫害にあったそうで、それがルーシュのようなマイノリティを素材とする監督への出資となったのだろうか。
牛山純一氏が作った映像記録センターの後裔である、「映像カルチャーセンター」は、膨大な記録映画を保有しているが、整理されておらず目録等がなく、それが「科研費」で一応できたことの報告のシンポジウムで、今後の公開が期待されるところだ。
会場は、東京工芸大学で、初めて行ったが、結構立派なのには驚いたが、大学の事務局がこのシンポジウムを知らないことに、さらに驚いた。