日本映画には、女中映画というジャンルがあった。製作再開した日活でのヒット作、左幸子主演の『女中っ子』は良い映画だった。
その他、谷崎潤一郎の『台所太平記』も、次ぐ次とやってくる谷崎家の女中の話だった。ただ、女中と言う言葉が、禁止用語になったので、西河克己が森昌子主演で『女中っ子』リメイクした時には、『どんぐりっ子』になった。ここでは脇役になっているが、もともと若水ヤエ子の主演で日活には「おヤエの女中シリーズ」があり、7本も作られている。小沢昭一によれば、女中は「お女中」と言うように、本来は尊称であり、差別用語ではなかったのだが、時代の推移と言うものだろう。
一時代前には、テレビで市原悦子の「家政婦は見たシリーズ」があったが、これも広い目で見れば「女中映画」の変種と言うべきだろうか。
1963年の笹森礼子主演の映画は、東京の郊外の電子部品メーカーの社長宅(大滝秀治、三崎千恵子夫妻)に住み込んでいる女中の話で、長女は松尾嘉代、長男は杉山元などの一家。笹森は、素直な女性で、孤児の設定。
笹森は、テレビの『日真名氏飛び出す』のCM兼ドラックストア・ガールで出ていた女優で、目が大きいせいか浅丘ルリ子に似たルックスで、日活に入り、赤木圭一郎などの作品に出た。赤木の遺作、牛原陽一監督の『紅の拳銃』は良い作品だったと思う。
町には、魚屋、八百屋、肉屋等があり、それぞれに小僧や女中がいる。当時の日本の人件費が安かったことがよくわかる。経済の高度成長期の直前なので、人件費はまだ高騰していなかったのだ。
松尾嘉代は、会社の同僚山田吾一が好きだが両親には言えず、上流階級の若者の見合いパーティーに行かされるが嫌なので、笹森に代わって行ってもらう。会場は、横浜港の氷川丸で、この頃はホテルや宴会業をやっていた。
そこに女中仲間の若水ヤエ子と久里千春が飛び込んできて、笹森に一目惚れした藤村有弘とドタバタになる。
本当は藤村は大会社の社長で、松尾の代わりの笹森に求婚する間違えの喜劇が最大の見せ場になるが、実に能天気。
1963年と言えば、ピンク映画の草創期で、セックス映像が氾濫していたのだが、そんな気配はまるでなし。
笹森は、肉屋の御用聞き、実は息子の沢本忠雄と、松尾嘉代は山田吾一と結ばれることが示唆されてめでたしめでたし。
監督の吉村廉は、戦前からの日活で、なんでも撮る器用な監督だったが、こういう平穏な作品はすぐにお呼びでなくなる。
じきに日本映画界は、ピンク映画の性と東映のヤクザ映画の暴力で占められるのである。
チャンネルNECO