大阪北部地震で、学校の塀が倒れて死者が出て、高槻、高槻と報じられているが、戦国時代は、高山右近の地で、右近と言えば『お吟様』である。
今東光の小説は2回映画化されていて、1978年の熊井啓監督の方が評価が高かったようだが、私は1962年の田中絹代監督作品の方を評価している。
にんじんくらぶなので、主演は有馬稲子で、右近は仲代達矢。お吟の造形について、有馬と田中の確執もあったようだが、そう悪い作品ではないと私は思う。
ただ、宮島義勇がカメラマンで、彼の伝記によれば、実際には宮島が監督したような状態だったと関係者の証言がある。
この映画で興味深いのは、岸恵子が特別出演していて、逃避行の有馬と仲代が、裸馬で連行されてゆく岸恵子を見る場面である。
これは溝口健二の『近松物語』のラストシーンの引用であり、脚本の成沢昌成と合わせ、溝口へのオマージュだと思う。