先日、国立映画アーカイブで、1943年の反英国映画の『秘話ノルマントン号事件』を見た。
この最後の方で、佐分利信などが、神社で祈るシーンがあり、ちらっと日枝神社と見えた。
ここは、今も関内地区の総鎮守として、吉野町4丁目に鎮座している。理由は、この裏に堰神社があるように、横浜の埋立ての起源の場所だからだ。
だが、このエリアは、言うまでもなく1945年5月の横浜大空襲で全焼させられた地区なので、戦前の日枝神社なのだろう。
すぐ傍の共進橋は、空襲の目標の一つだったのだから。
米軍のB29は、横浜の下町を全焼させたが、関内から山下町と港湾施設エリア、さらに山手の高台は全く空襲していない。
理由は、日本の軍需産業の底辺は、町の零細企業の家内工業的生産で支えられているので、ここを叩く必要があるというものだった。
だが、本当の理由は日本の庶民を叩き、戦意を喪失させることだった。誠にひどいことである。
また、港湾施設や山手の住宅は、戦後それらを自分たちで使う予定だったので、空襲目標から外したのである。
本当に嫌になる。