東京新聞で、半藤一利氏と保坂正康氏の対談「薩長史観」が始まった。
お二人とも、明治が明るく良い時代だったのは、政府が作ったニセの史観だと言っている。
黒澤明も、「明治は明るい時代だったんだよ」という趣旨で『姿三四郎』を撮ったと言っている。
だが、明治は決して明るくて良い時代だったのではない。江戸時代から見れば、むしろ暗い時代だったと私も思う。
その証拠は、「時代劇映画」である。
テレビでよく見る、悪代官と悪徳商人が結託して農民や商人をいためるというのは、実は江戸時代にはほとんどなかったことなのである。
徳川幕府は、為政者には非常に厳しく、何か問題があるとすぐに処罰されたものなのだ。
あの時代劇の、悪代官と悪徳商人が結託して農民や商人をいためるというのは、実は大正末期から昭和初期の社会のことなのである。
サイレント時代の末期、傾向映画という反政府的な作品があり、当局から処罰された。
そこで、製作者たちは世界を時代劇にして、社会の悪を描いたのである。
一般に時代劇映画というものはサイレント全盛時代にはなく、その末期に伊藤大輔が命名したのが時代劇なのである。
こうした時代や世界を変えてテーマを描くというのは、実は江戸時代の歌舞伎でも行われたことで、『仮名手本忠臣蔵』は、言うまでもなく赤穂義士の話だが、文楽と歌舞伎では、室町時代のことにしてある。
NHKの『西郷どん』など、政府は薩長史観を、明治150年で展開したいようだが、大きな間違いだと思う。