ピヨンチャンオリンピックは、いよいよあんちゃんオリンピックになってきたようだ。
あんちゃんオリンピックというのは、フリースタイルスキーなろもの、スノーボードやモーグルである。
スノーボードで銀メダルを取った平野は、結構抑えた答えだったが、一番すごかったのは、長野五輪モーグル金メダルの里谷多恵だった。
これは、むしろ彼女の問題ではなく、テレビの解説者の問題だった。
里谷が、高度な技を次々とこなして高得点が出ると、
「タエー!」っとまるで恋人同士のような叫び声を上げ、一気にモーグルの評価を下げたのである。
もっとも、私は五輪が、あんちゃんオリンピックになることには反対ではない。
もともと、近代五輪の提唱者クーベルタンが男爵であったように、オリンピックは欧州の貴族のサロンの遊びが基である。
だから、五輪はプロを排除してきた。つまり、スポーツで金を稼ぐのは卑しいことであり、アマチュアの方が気高いということだった。
その意味で、「勝つことではなく、参加することに意義がある」というのも、貴族のサロンの遊びに参加しましょうという意味でもあるのだと私は思うのだ。
日本が1912年のストックホルム五輪に参加した。
この時はマラソンだけで、当然国内の大会も開かれた。その時の大会の規程では、参加できない者として、人力車夫と郵便配達人があった。
かれらは、走ることを職業にしているからダメで、映画『無法松の一生』の富島松五郎は、オリンピックの国内予選に出る資格がなかったのである。