映画監督と言うと、黒澤明のように全スタッフを怒鳴り散らす、独裁者のイメージを持つだろう。だが、その黒澤も、若い頃は多くのスタッフの声に耳を傾ける人で、音楽の早坂文雄を最大の助言者としていたそうだ。
早坂がいないときは、俳優の志村喬を頼りにしていて、撮影で忙しい時などは、アフレコを志村に任せていた。それが原因で、大映京都の『羅生門』の時は、チーフ助監督の加藤泰と喧嘩になったそうだ。
その後、黒澤の周囲から多くの人が離れ、黒澤一人になると次第に独裁的になり、作品から潤いが失われていったように私には思える。
さて、藤田敏八と言えば、ロマンポルノ前の日活最後の映画『八月の濡れた砂』で有名だが、彼は同時に優柔不断でも有名な監督だった。
撮影の現場で明確な指示を的確に出すと言った具合ではなく、常に悩んでいるという風だったそうだ。だから、チーフ助監督の長谷川和彦が大声で怒鳴り、まるで長谷川が監督のようだったと言われている。
また、黒木和雄も、ややこれに近いタイプで、彼の作品で珍しい時代劇で俗にゴールデン街映画と呼ばれた『竜馬暗殺』がある。
昼間、世田谷の元醤油工場での撮影が終わると、石橋蓮司、原田芳雄、松田優作らの俳優、黒木監督以外のスタッフは新宿のゴールデン街に行き、そこで酔って議論になり、翌日の撮影が決められたそうだ。
つまり、どちらの監督の場合も、一見監督抜きに現場の撮影が行われたように見える。
だが、できたものは、どれも藤田や黒木のものになっていた。
映画音楽も多数書いた作曲家の林光は、監督、演出者を独裁型とオーガナイザー型に別けていて、新藤兼人や千田是也が前者で、大島渚は後者だと言っている。
特に映画は、編集があるので、撮影の時は自由にスタッフ、キャストにアイディアを出させて現場は盛り上げて、最後は自分が編集ですべてを統一することが可能だからである。