かつて東宝系の映画会社として東京映画と宝塚映画があった。
東京映画は、豊田四郎や川島雄三らのベテラン監督作品が多く、結構いい文芸映画作品がある。
これは、豊田の『夫婦善哉』が3か月もかかり砧のタジオを占拠されて困ったので、千歳船橋の連合映画を改装して使用することにしたものである。
さらにもう一つ意味があり、『駅前旅館』から始まる「駅前シリーズ」は延々と東京映画で作られた。これは森繫の他、松竹専属の伴淳三郎の出演が必要なので、1954年にできた「5社協定」外の東京映画を使ったのである。
同様の意味は、宝塚映画にもあり、普通ここは宝塚歌劇団の生徒を出すためと言われている。
しかし、もうひつと意味があり、京都の他社のスタッフを使って時代劇を作ることだった。
『オテナの塔』がそうで、製作は東宝の稲垣浩だが、監督は弟子で大映の安田公義である。
これは東宝系の映画館でも時代劇が必要だったことも意味していると思う。
因みに、今はどちらもなく、東京映画は民間企業の用地になっている。
宝塚映画は、一時は遊園地の一部だったが、今は広大な駐車場になっていて、歌劇観劇のために地方から来るバス等の駐車場になっている。
民間企業は、時代によってさまざまに保有資産を変えるものなのだ。