1950年代中頃から、日本映画は、多くの映画館では2本立て上映になった。
これは、『笛吹童子』以下の新諸国物語スリーズの大ヒットで、東映が中編2本立てで業界を席捲したことに追従した動きだった。
だが、これは同一社内の2本立てだが、異なる社の2本立てを考えて大成功した男がいた。
かつて「四国の大将」と呼ばれた、坪内壽夫さんである。
彼は、戦後松山で映画館をやっていたが、そこで異なる社の作品の2本立てを始めて大ヒットさせたのである。
これは日本で最初のことだったのである。
その後、造船所を次々と買収し、銀行の要請に応じて佐世保重工業も配下に置き、一時は「世界一の造船王」とまで呼ばれた。
私は、横浜市会議長だった松村千賀雄先生から聞いたことがあるが、1980年代初頭に坪内さんと松村さんはお会いした。
その時、坪内さんは、環境関係の事業を構想していたとのことだった。
やはり、時代を先取りする方だったわけだ。
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