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Channel: 指田文夫の「さすらい日乗」
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日本社会の表と裏 『舟を編む』 『さよなら渓谷』

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新文芸座の特集で『舟を編む』と『さよなら渓谷』を見る。

              

これは、現在の日本の社会の表と裏、あえて言うなら嫌いな言葉だが、勝組と負組の映画である。 

『舟を編む』は、社内では窓際の日の当たらない部署の辞書編集部だが、一応一流出版の人間の話である。

だが、『さよなら渓谷』に出てくる連中は皆、社会の落伍者で、言わば下流社会の人間の不思議な生態を描いている。

その象徴が主人公真木洋子で、彼女は高校時代に野球部の連中からレイプされ、自傷行為をするほどになるが、なぜかその加害者の一人と同棲している。

とわかるのは、映画の途中からだが、結局下層の人間は、下層の人間たちとしか交われないということなのだろうか。

『舟を編む』では、新しい辞書『大渡海』を編纂する人の話で、言語オタク青年松田龍平が辞書編纂の中で、成長して行くことが描かれて、言ってみれば気持ちの良い映画である。

だが、『さよなら渓谷』は、非常に暗い救いのない映画である。

また、この2本の違いは、『舟を編む』には、加藤剛・八千草薫夫妻、渡辺美佐子のようなベテラン俳優がいるのに対し、『さよなら渓谷』には、真木の母の木之花以外にほとんどいないのも見ていてつらい。

出てくるのは、変で問題のある連中ばかり、そしてやるのはセックスのみ。

吉田修一の原作は読んでいないが、『悪人』と同様に、下層の人間の気持ち、行動が上手く描かれているのだろうと思う。

ただ、映画ではそうした真木洋子の、自分のレイプ加害者と同棲するという心情が上手く説明されているかというと私は多少疑問がある。

日本の社会、特に地方や都市の周辺等での社会の崩壊はひどいと思う。

そこの若者たちは、結局のところ、セックス以外に興味も快楽も見いだせないように見える。

それは極端だろうが、半分は真実だとも思う。

新文芸座の観客の大半は、若者の親の世代で、この映画がどれだけ真に迫って見たかは大いに疑問がある。

新文芸座

 

 

 


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