池袋の東京芸術劇場で、南アフリカの劇団イサンゴ・アンサンブルの『ラ・ボエーム』を見る。
わたしは、海外からきた劇団の公演は、基本的に見るようにしている。
その理由は、外国の劇団、演出家、役者の資質や能力、発想、方法等は日本のものとは異なるものが多いので、非常に参考となるからである。
今回は、南アフリカの劇団イサンゴ・アンサンブルで、副館長高萩宏が言うように、東京芸術劇場が招へいした最も遠い国の劇団だろう。
公演は、イタリアオペラの名作、プッチーニの『ラ・ボエーム』で、ほぼ原作どおりに歌われ、踊られ、演じられている。
原作では、19世紀のパリに住む若手芸術家、ボヘミアンたちの話で、最後はミミの死による悲恋だが、相手役の男は、ルンゲロと言う名のライターになっている。
ミミも、プッチーニのオペラでは、貧しいお針子だが、ここでは造花作りの女の子になっている。
この二人を取り巻くのは、画家などのすべて若くて貧しい芸術家だが、南アフリカのケープタウンのタウンシップ地区に住む者の話に代えられている。
そこでは1976年にソエト地区で起きた抗議運動に由来するという「若者の日」も描かれている。
そして伴奏音楽は、オーケストラに代わり、南アフリカのコーラス音楽ムバカンガを中心としたもので、さらに大小のマリンバとスチールドラムの演奏だった。
マリンバもスチールドラムも実はアフリカではなく、本来は中米とカリブ海が起源の楽器だが、ここでは完全に劇、歌唱、ダンス、演技とぴったりと合うものとなっており、ダンスと歌の迫力はまことに凄い。
最後は、ミミは、結核でルンゲロの腕の中で死ぬが、南アフリカでも、このタウンシップ地区は結核の多いところだそうで、この劇は結核予防のキャンペーンも込められている。
結核は、近代の都市の中で特に若者に患者が多数出て、日本でも明治の樋口一葉、正岡子規、石川啄木以来、有為な芸術家の命を奪った「不治の病」だった。
理由は本来結核菌が、若い細胞を好みむので、様々な原因からの過労で免疫力の落ちた、恵まれぬ若い芸術家等が特に蝕ばまれたのだそうだ。
恐らく、多くの国で、ジャコモ・プッチーニ作の名作オペラは様々に上演されてきただろうが、これほど自国の文化、事情に見事に合わせて作り、公演されたのもないにちがいない。
この作品が、ロンドンのみならずニューヨークでの公演でも成功を収めたことが、それを証明していると思う。
今月は、奇しくも南アフリカの元大統領ネルソン・マンデラ氏が亡くなったが、こうした公演を実現したことは、東京都がバックアップする公的劇場として大変意義のあることだと思う。
東京芸術劇場プレイハウス