「スキヤキ・ミーツ・ザ・ワールド」の後は、いつも行きとは別のルートで戻ってきている。
去年は、長野から普通で松本へ出て、途中の姨捨駅では、
「ここが『楢山節考』の場か」と思った。松本からは、時間がないので中央線で八王子に出て、横浜線で戻ってきたが。
『楢山節考』は、二度映画化されていて、1983年の今村昌平のはカンヌ映画祭グランプリも取っているが、木下恵介の1958年の作品の方が私は凄いと思ってる。
これは、全体が義太夫狂言風になっていて、柝の音が入って幕が上がる、という具合に始まり、全体が伊藤喜朔の美術の歌舞伎劇のようになっている。
最初に銀座の並木座で見た時、この前衛性に非常に驚いた、松竹ヌーベル・バークどころじゃないなと。
ただ、最後が当時の姨捨駅が出てきて、もうこんなことはないと説明しているが、当時の松竹では仕方のない言い訳だったと思う。
今度は、念願の身延線に乗って戻ってきた。
時間があったので、甲府で降り、駅ビルに入ると5階がカルチャフロアになっていて、本屋と喫茶店がある。
これでレコード屋があれば、完全に1970年代の雑居ビルのフロア構成だが、今や本屋もレコード屋も首都圏では姿を消しているのに、これはすごい。
甲府はまだ昭和なのだろうか。
身延線には、かの鰍沢があり、身延もあり、一度通ってみたかったのである。
別にどういうこともなくただ通っただけだが、富士川の脇を通りながら下っていくので、スピードがまったく出せない。
これだけカーブの多い路線も珍しいと思う。
やっと富士宮に出るが、ここはやはり町らしく賑わって見えた。この近くの富士山の裾野には、私は1991年に3か月間「幽閉」されていたのであり、少々懐かしい。
富士から三島に出て、新幹線で新横浜に戻ってくる。
この北陸の高岡、富山に行って目に付いたのは、若い女性の二人組の旅行である。やはり、女性はまだ一人旅はなにかと心配なのだろうが、まあいいことである。