あるサイトから拙書『黒澤明の十字架』の書評を示せとのご意見があったので、以下に書くことにする。
<偉丈夫はなぜ徴兵されなかった>
映画監督の黒澤明は壮健な偉丈夫だったが、徴兵経験はない。軍務経験もゼロである。自伝で、徴兵司令官が父の教え子だったため兵役を逃れた、と書いている。著者は徴兵制度に実情があり得たか、と疑問を抱く。
調べると召集延期の条件には、××に従事して必要欠くべからざる者、という項目があることを知る。続いて戦時下の映画会社の実態を調べる。黒澤の会社では、極秘で航空教育用の映画を製作していた。教官不足のため、映画を教材に用いたのだ。軍部の御用だから、余ったフィルムを劇映画に流用できる。黒澤は会社の宝であり、戦病死した山中貞雄の先例をくり返したくなかった。本人に内緒で軍部に手配りした。
黒澤は兵役未体験が心の負担になった。「静かなる決闘」の主人公の描き方に、その辺の真理が現れている。およそ黒澤映画らしからぬ、うじうじと悩む男ーという風に兵役義務の観点から考察した、新鮮な黒澤作品論である。 出久根達郎 朝日新聞 5月19日
<写真家を戦場に向かわせたもの>
ところで、この本(沢木耕太郎「キャパの十字架」)とほぼ時を同じくして、指田文夫著「黒澤明の十字架」(現代企画室)という本が出た。題が似ているだけではなくテーマにも共通性がある。
黒澤明監督は同世代の映画人の多くが兵士として戦争に行き、戦死した人もいたのに、ついに召集されなかった。理由は彼自身が自伝で明らかにしている。軍の学校の教官だった父親の教え子に徴兵司令官になった人がいて、彼を徴兵から除外してくれたのだという。黒澤明はそのことを徴兵忌避と受け止めて密かに責任を感じ、己の十字架として背負って、「静かなる決闘」「野良犬」その他の戦後初期の道徳性の強い作品に暗示的に表現していると言うのが指田文夫の論点である。沢木耕太郎の「キャパの十字架」に比べれば否応なく読者を納得させる論証の緻密さは足りないと思うが、これまでにない視点で表現者というもの責任を論じているのに感銘を受けた。 佐藤忠男 週刊朝日 5月17日号
<巨匠のトラウマ 説得力のある推論>
作品論、監督論から脚本・撮影・美術などの各論まで、黒沢明はもう語り尽くされたのではないか。と思い込んでいたわが傲慢を、恥じ入るばかりだ。
指田文夫著『黒澤明の十字架』。軍隊経験、戦場体験を持たないことが巨匠の強い負い目になり、それが作品に影を落としているという。斬新な指摘、分析に「一気通巻」。
身長180センチ、体重75キロの偉丈夫が、なぜ招集を逃れたのか。東宝の思惑、軍との深いつながりがあったためと著者は推論する。
徴兵「忌避」には、三国連太郎の大陸逃亡計画のように積極的なイメージがあるが、黒沢はむしろ同胞と共に戦いと考えていた。加えて戦時中の作品「一番美しく」が軍の意向に沿ったことが心の傷になったー。
それらの屈折が、作品にどう反映したか。「静かなる決闘」を皮切りに「わが青春に悔いなし」「羅生門」「赤ひげ」「影武者」「乱」「夢」などを引き、黒沢のトラウマと贖罪意識をくみとる。
「状況証拠」が主体で「物証」に乏しいが、読後の印象は「クロ」。推論に説得力がある。 服部宏 神奈川新聞 5月12日
その他、『ミュージック・マガジン』と『レコード・コレクターズ』の6月号、『ミステリ・マガジン』の7月号でも書評されていますので、ご参照頂ければ幸いです。