かつて日本人は判官びいきだと言われた。これは源義経など、弱いもの、権力に追われる者への贔屓であり、日本人の根本的心性だと言われた。
だから、選挙等で、ある方が優勢だとマスコミ等で報じられると、結果的には、その不利とされた側に同情票が集まり、形勢がよく逆転されたものである。
私が議長秘書として仕え、今の大官房長官の菅義偉氏によって横浜市会議員の座を追われた鈴木喜一先生は、
「新聞で鈴木有利などと書かれるのが一番困る」と言っていたが、これも判官びいきによるものだろう。
だが、近年は逆に、ある方が有利と出ると、皆その勝ち馬に乗るという精神になっているようだ。
特に、30代以下の若者がそのように見える。
確かに無理もない。
彼らは生まれたときから、「失われた時代の人間」で、一度も良い目を見ていないのだから、少しでも良くなる方に付きたくなるのだろう。
特に、東京や大阪のような大都市へは、「いつか一旗上げてビックになろう」として地方から出てきたものが多く住む地域である。
いつかは、ロック、アニメ、トーク芸等でビックになれると妄想しつつ、日々はコンビニ等の非正規就労で働いている。
そうした人間に、弱い者の味方をしろと言っても、「それよりは俺の方をよくしてくれ」というだろう。
大阪維新の会の橋下徹のようなデマゴーグを自分たちの味方だと思う理由がそこにある。
本当は、非正規労働の人間など、最初に切り捨てる政策の連中なのだが、彼らを支持するという皮肉。
まるでドイツの市民がナチスを支持したようでもある。