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Channel: 指田文夫の「さすらい日乗」
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『アイヒマン・ショー』

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1960年、アルゼンチンでイスラエルは、ナチスのユダヤ人虐殺の責任者で逃亡していたアイヒマンを拘束し、イスラエルに連れてくる。

これは正式な外交的手続きを経たものではなく、国際法的には、明らかに違法なものだったが、イスラエルはモサドの仕事だったにも関わらず、民間人の行為だとした。

また、欧州各国も特に違法性を言わなかったのは、ユダヤ人迫害については、イギリスをはじめ欧州各国には自らも過去にユダヤ人排斥をやっていた後ろ暗さがあったためである。

               

 

翌年に始まった裁判をテレビで放送しようとアメリカのプロデユーサーが企画し、ディレクターのフルビッツが選ばれる。

彼は、赤狩りにもあったことのある、気骨のあるドキュメンタリーのディレクターだった。

フルビッツの発案で、法廷の壁にガラスの窓を作り、そこから4台のテレビカメラで、法廷のすべてを撮影する。そして、編集された映像をアメリカをはじめ、欧州等に送る仕組みだった。

今なら、同時宇宙中継だろうが、当時はまだ録画映像の空輸だった。

法廷が始まり、アイヒマンへの罪状が検察官から申し立てられると、その残虐さに視聴者は驚愕し、テレビ放送は大成功する。

だが、ソ連のガガーリンの宇宙飛行とキューバ危機の勃発で、世間の関心はそれらに移ってしまい、視聴率は落ちる。それに対し、フルビッツは、本人への尋問が始まれば、また盛り返すと自信を持っていた。

その通り、アイヒマンへの尋問になると、視聴者の関心は戻るが、逆にその残虐性は、見るものに激しい拒否感をもたらすものだった。

フルビッツは、アイヒマンの内面の残虐性を表現したかったようだが、それはできずむしろ普通の、平凡な人間であることが証明されるだけであった。

この役人のような平凡な男が、極悪非道な行為をするというのは、日本人の我々には比較的容易に理解できるものだろう。

だが、欧米人には分からないようで、この裁判を実際に傍聴し『イェスラエルのアイヒマン』を書いたハンナ・アーレントも、その凡庸さには驚愕したようだ。

当然のようにアイヒマンには死刑判決が下され、1962年絞首刑にされ、骨は海にまかれた。

ユダヤ人の、執拗さには驚愕せざるをえないが、第一次中東戦争以後、イスラエルが、長年にわたり現在まで、アラブのパレスチナ人を排斥、追い立てて土地を奪い、迫害、虐殺しているのは、歴史の皮肉というべきだろうか。

シネマジャック


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