森下にある私立図書館、渡辺信夫さんがやっている跳花亭の月一の寄席に行く。
この日は、昨年の12月に惜しくも亡くなられた浪曲の国本武春のライブ2本。はじめは関内ホールで録画されたもので、2本目は浅草の木馬亭のもので、曲師が最高の沢村春子さんによる「紺屋高尾」
落語でもよくやられる話で、浪曲では篠田実のが有名だったはず。
神田の紺屋の職人が、吉原の花魁道中で見た高尾大夫に惚れて、金を3年貯めて吉原に行き、翌朝にすべてを打ち明けると大夫が「喜んで行きます」となり、3年後に年が明けて本当に夫婦になり、紺屋高尾として大評判になるという人情噺。
こんな夢のようなことがあるかと思うが、それを見るものに信じさせるのが演者の力で、武春は実に力強く語った。
彼は、ロックのように三味線を弾いたり、アメリカのブルーグラスバンドと共演したりするなど、浪曲界にあって常に新しい試みをしていた実力者だった。
彼を失ったことは、浪曲界のみならず太守芸能界にとってとても大きな損失だったと思う。
かつて、浪花節的という比喩があったほど、浪曲、浪花節は日本の大衆芸能の王様だった。
広沢寅蔵は、一人で浅草国際劇場を満員にしたのだから凄い。
それがなぜ1960年代以後に急に凋落したのかは、大衆芸能研究の大きな課題である。
私は、単純になるが、1960年代に浪花節的情緒が時代に合わなくなり、その浪花節的情緒を取り込んで新たにできたのが、演歌だと思うのだが。