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演歌が伝統文化ではない証拠

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先日、東京新聞、TBS,さらに都合が悪くて電話インタビューは受けられなかったフジテレビ・ネクストから、「演歌・歌謡曲を応援する議員連盟」が言う、「演歌が伝統文化なのか」については、はっきりと違うと答え、東京新聞には、3月5日の特報部に出た。

伝統文化ではない証拠がきちんとある。

1903年、明治36年に東京で吹き込まれたレコードがある。もちろん、SP盤で、イギリスから来たフレッド・ガイズバーグによって録音されたものである。

7インチ盤164枚、10インチ阪109枚の273枚吹き込まれた。その内容は、雅楽、能、狂言、長唄、常磐津、落語、俗曲、浪花節、法界節、声色、カッポレ等であり、今日でいえば、邦楽、大衆芸能に属される音楽や芸能である。

その中に演歌など、どこにもない。

傑作なのは、洋楽合奏「君が代」があり、演奏したのは吾妻婦人音楽連中で、新吉原の芸妓によるもので、聴くとそれなりのもので、元が芸者であり、音楽の素養があるので、西洋の楽器も演奏できたのだと想像される。

このように非常に幅広く当時の音楽・芸能が記録できたのは、自らも落語を話している、オーストラリア人落語家・快楽亭ブラックの活躍があったのである。

彼は、通訳の他、演者や演目の選定、報酬の交渉等にあたったのであり、彼の存在なくして、この歴史的録音はなかったと言われている。

このように、明治時代に現在の演歌はなく、あえて言えば、明治、大正、昭和の20年代まで、日本で一番人気のあった芸能は、実は浪曲だったのである。

日本のレコード産業の基礎を築いたのは、桃中軒雲衛門らの浪曲のレコードだった。

1950年代の民放でも、素人の浪曲大会である「浪曲天狗道場」があり、大人気だったほである。

それが1960年代に急に人気が落ち、衰退していったのは、様々な理由があるが、反対に「演歌」が生まれていることが注目される。

つまり、図式的に言えば、戦後の社会の中で、「浪花節的情緒」が古臭いものとして否定される一方で、演歌の中に取り込まれたのではないか、というのが私の考えである。

昔よく言われた台詞に「浪花節的」というのがあった。今ではほとんど使われなくなった言葉だが、いっそのこと演歌的と言えばよいのかもしれないと思う。


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