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Channel: 指田文夫の「さすらい日乗」
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『特技監督・中野昭慶』 ワイズ出版

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1935年、満州の丹東に生まれた中野は、1946年日本に帰国して新居浜で暮らすことになる。中学、高校時代に映画と演劇が好きになり、日大芸術学部から1959年東宝に助監督で入る。

大学時代から、アルバイトでテレビのシナリオを書いていたというように、もともとは特撮ではなく、普通の映画の監督を目指していた。

当時、東宝には2,000人くらいの職員がいて、同期で入社した助監督も47人いたという。日本映画全盛時代である。

最初の作品は松林宗恵監督の『潜水艦イー57降伏せず』で、『サザエさんの新婚家庭』(青柳信雄)、『日本誕生』(稲垣浩)、『お姐ちゃんまかり通る』(杉江敏男)などに就く。

いずれも娯楽映画だが、戦争映画、喜劇、歴史スペクタクル、アクションものと多様な作品に就いているのが素晴らしい。当時は、各社が週2本づつ公開していた時代で、様々な作品が「夢の工場」から工業製品のように作られて日本国中に出荷されていたのである。

その中で、多くのスタッフ、キャストは多様な映画を経験することで、作品の多様性を身に着けることができたのだ。

それは、東宝ではないが、日活の鈴木清順や舛田利雄らの監督作品を見ると、1本の映画の中に、まるで「幕の内弁当」のようにいろんな面が含まれていて、見るものを退屈させないのがさすがだと思う。

また、成瀬己喜男にも、『夜の流れ』と『秋立ぬ』の2本も就いていて、その名人芸的な演出の完璧さに驚いたそうだ。

そして、1962年円谷英二から指名を受けて、『妖星ゴラス』で、特撮の監督助手に就き、以後円谷英二の遺作『日本海大海戦』まで助監督になる。

                                                                  

 

以後も特に特撮専門という意識はなかったようだが、自然に特撮の専門家になってゆく。

特撮については、他の本にもいろいろ書かれているので、特に書かないが、中野昭慶氏の映画の見方がすごいと思うのは、小津安二郎の役者を正面から撮ることに意味に触れた箇所である。

415頁に書かれている。それは、1935年に歌舞伎座で六代目菊五郎の『鏡獅子』を撮って、菊五郎に見せた時、菊五郎は、

「俺はこんな拙いことをやっているのか」と言ったという。

それは、小津が菊五郎を横から撮ったため、普段は正面からのみ見られているのに対し、横からの視線は無防備になっているので、下手な動きになっていたというのだ。

それに懲りて、小津安二郎は、役者を正面から撮るようになったのでは、と中野は推測しているが、これは正しいと思う。

要は、人を横から見たり、撮影したりするのは、失礼だろうとの考えなのである。

その他、いろいろな興味深い話が満載されていて、特撮ファンのみならず、映画製作に興味のある方なら実に面白い本であることは間違いない。

 


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