Quantcast
Channel: 指田文夫の「さすらい日乗」
Viewing all 3529 articles
Browse latest View live

日本にも法王がいた

$
0
0
今、ローマ法王が来日中だが、かつて日本の演劇界にも法王がいた。
それは、劇作、演出の北条秀治で、北条法王と言われていた。
となると、天皇もいて、菊田一夫は、菊田天皇と言われていて、この二人は日本の商業演劇界の二大巨頭だった。

菊田では、『放浪記』など有名作があり、今でもよく知られているだろう。
北条でも、『王将』は、元は彼の戯曲であり、どちらも非常に優れた劇作家だった。

         

『謎解きはディナーのあとで』

$
0
0
こう見えても私は、結構鷹揚な人間で、こうしたお遊び映画も嫌いではない。
ただ、ラスト近く、悲劇の主人公の桜庭ななみがステージで歌ったときは、大いに白けた。
異常に下手だったからで、「なんで吹替えにしないのだ」と思った。
口パクで、誰が怒るのだろうか。
この歌のシーンは、十分に泣かせる重要なところなのだから、そこで白けるのは大いに問題だった。

役者はいろいろ出てくるが、宮沢りえと特出の伊東四郎しか見るべき人はいない。
二人の出演で、400円づつで、800円くらいしか払う価値はないと思う。

日本映画専門チャンネル

家出サイトについて

$
0
0
大阪の少女が、栃木で保護されて話題となっているが、私は8年前の2011年3月に、次のように書いた。


「若者はいつも大人の予測を超えることをする それが大人への成長の入り口なのである」

2011年03月01日 | その他


    

昨日、青葉区で人権講演会があり、吉川誠司の『今、携帯を持つ子どもたちに起こってきている事実」を聞いた。携帯やパソコンについて随分知らなかったことを聞き、参考になった。結論として言えば、我々も子どものときにそうだったが、何とかして大人の考えつかないことを考え出し、やってしまおうと一日中考えていたものだ。今回、京都大学等の入学試験で、携帯電話を使った試験問題の流失事件が起きているが、昨日聞いたような若者の携帯電話についての習熟、利用を考慮すれば、別に不思議なことではないようだ。驚いたことの一つに、ゲームサイトが、ゲームのみならず、ウェブ機能を完全に持っていて、そこで子どもが通信のやり取りをしていること。また、ゲームは「一部は有料」と表示しているが、ほとんどは有料で、少しでも面白いレベルに上がるとすぐに有料になってしまうもので、「一部無料」と表示すべきものなこと。パソコンも含めゲームは一切やったことがないので、全く知らなかった。グリーは、この高額請求等の仕掛けで年商100億円なのだそうだ。講師は、グリーの宣伝を見ると「一部無料」と表示すべきと思うそうだ。出会い系サイトについても、最近は管理者がかなり監視しているので、投稿する女子は、投稿を写真でやったり、縦書きで書いたり、隠語で書いたりして投稿している例があるとのこと。監視は、目視もあるが、コンピューターによるキーワードの検索なので、写真、動画、縦書き等は識別できないのだそうだ。また親が、子どもの携帯に利用制限を掛けたとき、それを解除するために、子どもが親の扮装をして店に行き、免許書等のコピーを見せると、業者は親子を明確に判別できないので、申し出どおり解除すること等があったこと。その他、実例を挙げると差しさわりがあるので書けないが、実に子どもたちはいろんなことを考えるものである。そうやって知恵をつけ、成長し、大人になって行くもので、そうした背伸びは、ある意味必要なことかもしれない。

だが、この日一番驚いたのは、ネットに「家出サイト」があり、家を出て宿泊することを求めるのと、受け入れるメッセージの交換が行われていることだった。これなどは、今NHKや朝日新聞がバカみたいに騒いでいる「無縁社会」の典型的な現象かもしれない。
それほどまでに家庭は崩壊し、また若者に間の友人関係も縮小しているのだろう。
まあ犯罪の被害に遭遇する一歩手前のように思えるが、それも個人の自由である。

少年や少女が、ある時期に家を出たいと思うのは、特別なことではない。
それは、子供が大人になるとする意思の始まりの一つだからである。
家出サイトは、今はスマフォで容易にアクセスできるようになっているのだろう。
悪事千里を走る、というべきか。

『傷だらけの掟』

$
0
0
1960年の阿部豊監督の作品。
阿部は、戦前は大監督だったそうだが、日活時代の作品は見たことがない。
存在しないからで、東宝に移籍して後の作品は、最もモダンと言われた阿部は、国威発揚的になっていて、「あれっ」と思う作品群だった。



戦後も、「右翼的」な映画が多く、しかも詰まらないものだったが、これはましな方だ。
池袋が舞台で、不良学生の長門裕之が勝手なことをしていて、二谷英明がボスの暴力団とトラブルになるが、彼は平気である。
彼の兄の葉山良二が、対立するヤクザの組員だからで、親分は金子信夫で、これが非常に悪い。
長門は、やはり不良娘の中原早苗に惚れて、堅気になろうとする。
金子は、それを許すが、代わりに葉山に二谷を襲うことをやらせる。

また、葉山が二谷たちの麻薬取引を横取りする挿話もあり、話の展開は早く、この時期の阿部作品ではましだなと思う。
最後、長門と中原は無事堅気になり、葉山は恋人の南田洋子の目の前で殺されてしまう。

脚本は、山崎厳と助監督の野村孝だが、原案が川瀬昌二になっているが、これは新東宝に共にいた瀬川昌治のことだろうか。
池袋のジャズ喫茶のバンドとして、堀丈男が出ているが、ホリ・プロ社長の堀であり、スチールギターを弾いている。
南田の花屋の店員として、刈谷ヒデ子が出ていた。

チャンネルNECO

『破戒』

$
0
0
1948年の木下恵介監督作品、主演は池部良、桂木洋子、宇野重吉、脚本は久板栄次郎。
原作は言うまでもなく島崎藤村で、被差別民の瀬川丑松が、自分の身分を明かす苦悩と周辺の偏見を描いている。
冒頭で、桂木の父で教員の菅井一郎が、首になる件がある。校長の東野英治郎の県への追従で、あとすぐで年金が付くはずの菅井は、首になってしまう。だが、元武家の菅井は、武士であることに異常な誇りを持っている偏見のひどい人物としてされ、桂木と池部の関係にも反対である。
武士の家の者が、平民の男と一緒になるのは許せないのだ。

       

次第に、池部が被差別部落の出身であることが明かされて行き、議員の小沢栄太郎などの悪役が上手いので劇は盛り上がる。
「四民平等」の演説会を開こうとする滝澤修は、暴民に襲われて死んでしまう。
学校で、池部の身分を明かそうとする集会が開かれ、その場で池部は自分が被差別部落の出身であることを明かし、学校を辞め、運動に専心すると言う。
飯山を出ていく池部を桂木は追い、二人は結ばれることを示唆して終わり。
この映画は、実は東宝で池部主演で撮影が開始されたが、途中で東宝争議が激化してストップしてしまい、松竹に移行したものであるのはよく知られている。
だが、不思議なのは、この東宝での監督が阿部豊だったことで、彼は決して人権意識の強い人とは思えないからだ。
その意味では、阿部監督で作られたらどのようになったのか、興味あるところだからだ。
衛星劇場

『ドッグ・ソルジャー』

$
0
0
1978年の映画だが、背景の時代の感じはもう少し前のように見える。
監督はイギリスのカレル・ライス、この人はイギリスのニューシネマの一人で、高校時代に『土曜の夜と日曜の朝』を見たが、あまりピント来ず、映画好きの先輩も「変な映画だったな」と言っていた。
だが、よく考えると日本の大島渚を代表とする松竹ヌーベルバークも、本家のフランスのヌーベルバークよりも、イギリスのニューシネマの方に近いと思える。
それは彼らの政治性で、フランㇲのヌーベルバーグにはほとんど政治的意識がないが、ニューシネマの連中にはあると思えるからだ。
彼らは、イギリスからアメリカに行って結構いい作品を作るようになるが、それは彼らに批判性があったからだと思う。



ベトナムのアメリカ人ジャーナリストのマイケル・モリアティが、一山当てようと麻薬を友人に頼んで、アメリカに運んでもらう。
この友人が元海兵隊員のニック・ノルティで、肉体派である。インテリのモリアティと肉体派のニック・ノルティで、『兵隊やくざ』の田村高広と勝新太郎を思わせる。
彼は、オークランド港で、軍艦に麻薬を隠して運びだし、モリアティの妻のチュズデイ・ウエルドの家に持ってくる。
だが、ウエルドは事情をほとんど聞いていず、ごたごたしている内に、家は二人組に襲われる。
一応FBI捜査官と言っているが、要は横取りしようとしている得体のしれない連中。

ノルティは、嫌がるウエルドを車に乗せて、サンフランシスコに行く。
そこは、まだフラワームーブメントで、チルドレンが花を売ったりしているが、時代的に少しずれているようにも思える。
子供を父親のところに預け、ノルティとウエルドは、山の元ピッピーが住んでいた集落のようなところに逃げる。

すると捜査官もやっって来て、彼らとの攻防になるが、モリアティは彼らに捉まっていて、麻薬との取引になる。
この集落が異様で、木造の小屋だが、舞台もあり、無数の電球が吊るされていて、昔は祭りをやったという。
今年、公開された『ワンス・アポン・ナ・タイム・イン・ハリウッド』のピッピー村みたいなものだ。
ノルティに言わせれば、「そこでは祭りをやっていて、歌い、踊った」という。
音楽は、全面的にクリーデンス・クリアウォーター・リバイバルで、『雨を見たかい』などが掛る。

最後、ノルティと捜査官連中との激しい銃撃戦になり、モリアティとウエルドは車で逃げ、ノルティも連中に勝つが、落ち合う場所の鉄道の線路に行くと、そこで死体になっている。
冗漫なところもあるが、時代的な意味も興味深い作品である。これらの成功の後、カレル・ライスは『フランス軍の中尉の女』で大成功する。

ザ・シネマ

『わたしは光をにぎっている』『解放区』

$
0
0
友人の小林君に誘われたので、シネマジャック&ベティに2本見に行く。



まずは、『わたしは光をにぎっている』で、地方から出てきて、立石の銭湯で働くことになるのが松本穂香、一人で古い銭湯をやっているのは光石研。本当に一人でやって行けるのか疑問だが、週に2回も休んでいてやっと営業している。
立石は、京成線に唯一残る昭和的な下町で、次第に再開発の動きが及んで来て、ついに閉鎖になる。
1年後、光石は、松本が銭湯を開き成功しているのを知る。
なにを言いたいのかと思う。たよりげなく見えた松本が、実はしたたかで銭湯運営のノウハウを学んでいたというのだろうか。

次の上映まで時間があったので、下のモーリスで小林君は、広島風お好み焼きを、私はウーロンハイを飲んで、今度はベティで、『解放区』を見る。
英語の題名が、Fraige でこれがなぜ「解放区」なのかと思う。全編、英語の字幕が出る。
話は、東京で、引きこもりの男をテレビ取材する3人のクルーが来て、家に入り、まずは母親を撮り、次に二階にいる本人を撮ろうとする。
勿論うまくいかず拒否されるが、アシスタント・ディレクターが、あるCDのことで本人と意気投合し、そこで二人は盛り上がる。
だが、ディレクターは異常に不愉快になり、家の外に出て、アシスタントを罵倒し、首にしてしまう。

すると、このアシスタントは、引きこもりの本人を連れ出して大阪に行く。そこで彼を使って、3年前にディレクターが自分で取材したが、消えてしまった少年を探すテレビ取材を二人で始める。
いかがわしい酒場や、そこで出会った女といきなり部屋でセックスするが、翌朝女にバックの金を持ち逃げされ、取材は頓挫する。
さらに、引きこもりの男からも、「いったい俺になにをしてくれた、なにもしていないじゃないか」と逆襲される。
最後、麻薬を打ち、その代金のことでヤクザのような男とトラブルになり、アシスタントは殺されてしまう。

言ってみれば、「フェイクド・キュメンタリー」で、ここでもなにを言いたいのと言いたくなる。
近年フェイクドキュメンタリー的な作品が多く、その不貞腐れ方の徹底性は、この作品は凄いとはいえるが。
こうした作風は、一般の人向けではなく、映画好きのすれっからしのみに向けた映画だと思う。
良い傾向とは私は思えないのである。



イスラエルでは、富有柿を作っている

$
0
0
先週、横浜の朝日カルチャーセンターで、日本女子大の臼杵陽先生の話で、「日本人にとってのエルサレム」を聞く。
エルサレムに行ったことのある、徳富蘆花、加賀乙彦、遠藤周作らの作家、さらに内村鑑三、矢内原忠雄らについてであった。
彼らについての話も面白かったが、戦後イスラエルでは、地中海沿岸で様々な果実の栽培を行った。
そこは、当時は湿地で、マラリアもあり、アラブ人は住まず、高地に住んでいた。

       

イスラエルは、世界中から果実の種を持ってきて、栽培を実験し、日本の富有柿、オーストラリアのユーカリの木等を植栽し、生育に成功した。
勿論、世界のユダヤ人の金の力である。
矢内原は、こうしたイスラエルの事業を高く評価していたようだ。
時代的な仕方なさもあるが、矢内原自身が植民地学者だったからだとも言えるだろう。
遠藤らの作家のエルサレム認識についてもいろいろな問題があったようだが、それについては書かない。

『示談屋』

$
0
0
1963年の日活作品、監督は井田探、脚本は安藤日出夫、病室で女性がぐるぐる巻きの包帯が解かれていて、顔がアップされると大きな傷が残っている。
誰かと思うと松本典子で、石原裕次郎・浅丘ルリ子3部作の「テンコ」の松本典子である。これは、脚本家の山田信夫が何かの作品で松本典子と知り合い、気に入り、テンコと呼んだことに由来する。
彼女は人気ファッションモデルで、事故を起こした車の事故係の川地民夫は係長の佐野浅夫と彼女のマンションに行き謝罪するが、佐野は松本が不注意で道路に飛出したのが事故の原因だと主張する。


また、交通事故で被害者の土方弘が病院に運ばれると、交通事故協会の小池朝雄が駆けつけるが、そこには同業の小沢栄太郎がいて、土方と話している。
小沢は、病院の事務長の下元勉とぐるで、事故を通報してもらい、事故の交渉人を引き受けている。
小池も小沢も、示談屋で、交通事故の加害者と被害者の交渉を引き受けているのだ。
小沢の息子は川地民夫であり、これが最後の悲劇になる。
元は、関西テレビのドラマで、細部があって面白いのは意外というのは、この時期の井田探の監督作品はつまらないものが多かったからだ。
早稲田の映研の同期生の金子裕君とは「日活の井田、東映の鷹森立一は見る必要はない」と言い合ったものだ。

川地は気の弱い男で、松本を見舞いに行くと病院は退院していて自宅にいるという。
自宅は、南千住で、木造住宅の密集地区であり、隅田川には船が繋がれている。
南千住は、まだ当時は、戦前の小津安二郎映画のような下町で、今の高層マンションエリアではない。
彼女は、貧困の中でモデルで家に金を入れていたのである。妹は、進千賀子だった。
顔の傷でモデル事務所を首になり、松本は自殺してしまう。



土方の事故交渉をめぐって小沢と小池の争いも面白いが、この辺はさすがに名優たちである。
最後、事務長の下元とのもめ事から小沢の家に来た看護婦の久里千春と川地はできてしまう。
この頃、久里は、お色気担当女優だった。
家から逃げ出した久里を追って道路に飛出した川地は、トラックに跳ねられて死んでしまう。
死体置き場に、小沢と別れた母親が現れるが、なんと杉村春子!
ここで、小沢と杉村の怒鳴りあいがさすがに凄い。
事故を起こした車は、なんと川地が勤める会社で、小沢は強硬に主張するが、会社の弁護士大森義夫は「裁判にしたら」とはねのける。
最後、絶対に勝ってやるぞと小沢は決意する。

鶴見操車場

$
0
0
月曜日の東京新聞に、新鶴見機関区のことが出ていた。
貨物線車両の「聖地」として人気なのだそうだ。
ここは昔は、鶴見操車場と言われていたところだと思う。

母の実家が、この近くの矢向だったので、親戚に遊びによく行ったものだ。
ここは、広大な地域に様々な線が入っていて、入れ替え等をやっていたと思う。
また、矢向には、この操車場と南武線、浜川崎線等をつなぐ単線の線路が沢山あり、そこを貨物が走っていた。
国鉄の分割民営化後、このエリアにはドーム球場を作るとの計画もあったが、どれも実現していないようだ。
そして、現在は湘南ライナーの他、先週からは相鉄の分岐線も通過するようになったとのこと。
貨物様の様々な車両の聖地となっているとのことだ。



ここで撮影された映画に、日活の初期の『愛と死の谷間』という作品がある。五所兵之助監督のもので、やや意味不明の作品だった。

『父ちゃんのポーが聞こえる』

$
0
0
1971年の東宝映画、監督は石田勝心、主演は小林桂樹と吉沢京子。
北海道の映画と思っていたが、タイトルに協力高岡市とあるので、北陸で撮影されたようだ。



国鉄のSLの運転手小林は、釜焚きの藤岡琢也とコンビで北陸を運転しているが、北陸線、七尾線、高山線などだろうか。
この二人のコンビがいつも、悪口を言い合っているが、仲が良いことが分かり、非常に面白い。SLは主にC56のようだ。

小林の妻は亡くなっていて、吉沢は「お父ちゃん子」である。ある日、二人は旅行に出るが、千葉の行川アイランドで、その宿は国鉄の施設である。
そのアイランドの中で、吉沢は転ぶ、家に戻って学校の中でも度々転び、ついに普通の中学から病院内の学校に転校する。
小林は、司葉子と再婚し、幸福な日常となるが、吉沢の病状を詳しく診察すると、ハンチントン舞踏病であることが分かる。
この病院も国鉄病院であり、当時国鉄は全国に様々な施設を持っていた。
私も、最初に脳梗塞で倒れた時、足の皮製の膝から下を被う義足を作ったが、それは新宿の国鉄病院だった。

そこにボランティアが絵を教えに来て、中の佐々木勝彦を好きになり、吉沢は初潮も迎える。
車椅子に吉沢を乗せ、二人は高岡のデパートに連れて行くが、今年閉鎖された高岡大和である。
佐々木は、言うまでもなく千秋稔の息子で、二枚目ではないが堅実な役者として、この時期東宝の若手スターの一員だった。
病状はさらに悪化し、学校内の教室では治療は無理とのことで、山奥の施設に移ることになる。
この辺の路線の近くで、そんなところがあるかと思うと高山線しかないと思うが、どこだろうか。
山の下がループになっていて、養護施設から、そのSLが通過するところが見え、小林は、そこを通過する時に汽笛を鳴らす。
ある日、小林は、司との夫婦喧嘩から前方不注意で、踏切に泊まっていたダンプカーにぶつかってしまい入院することになる。
小林の不在の機関車で、藤岡は運転手に頼んで、汽笛を鳴らしてもらう。
汽笛を聞く中で、吉沢は死んでいく。
非常に地味な話だが、石田は成瀬巳喜男の弟子らしく、悲劇を淡々と描いているのは良い。

日本映画専門チャンネル

「強きに弱く、弱きをくじく」

$
0
0
アフガニスタンで、中村哲氏が亡くなられた。
良く知られているように、彼は小説家火野葦平の甥である。『花と龍』の火野である。

             

中村氏にも、どこか義侠心のようなものがあったと推測する。
これに対して、今の安倍晋三以下の連中にあるのは、アメリカという強気に弱く、国民という弱きに強い卑怯さだけだろう。

日米の情報公開の格差

$
0
0
太平洋戦争中に、東京ローズと呼ばれた女性がいた。
対米短波放送で、『ゼロ・アワー』という番組でナレーションをしていた女性たちの名である。
そこには、森山久、ティーブ釜萢らによるジャズの演奏も流されていた。
想像されるように、森山久は、森山良子の父、ティーブ釜萢も「かまやつひろし」の父親で、日系のジャズ・ミュージシャンだった。
放送を録音していた場所は、言うまでもなく内幸町のNHKスタジオで、短波で太平洋中の島々にいる米兵向けの放送をしていた。
日本には、これのレコード等はない。あったのかもしれないが、敗戦後に廃棄したのだろうと思う。
だが、アメリカには、すべてが録音されていて保存されている。




戦時中、アメリカは日本の放送をシアトルで傍受し、すべて録音していた。
1980年代に、レデイオラというドキュメンタリー・レコードを出していた会社がLPで出し、私は渋谷のスミヤでこれを買って持っている。
内容は、『ゼロ・アワー』での東京ローズのナレーション、「あなたが太平洋で戦っている間に、恋人は新しい女性と一緒に過ごしているわ・・・」と言ったものである。
その他、中国やインドシナでの日本優勢の戦局が放送されている。

戦後、この東京ローズは、進駐した米軍によって捜査され、アイバ・戸栗さんが逮捕される。
本当は、7人はいたとされているが、なぜか戸栗さんだけが逮捕されて裁判に掛けられて、有罪になる。
このLPには、その時のニュース映画のナレーションも入っていた。

いずれにしても、敵国の謀略放送であれ、きちんと保存し、一般に公開するのがアメリカの民主主義である。
対して、わが日本の安倍政権の「情報非公開」は、どうしたものだろうか。
明らかに、下手な嘘をついているキャリア官僚には、まことに同情に耐えない。
東大等を出て、あんな嘘をついているとは。
曰く「嘘つきは泥棒のはじまり」である。

あれは再現フィルムだった

$
0
0
昨日12月8日は、太平洋戦争の開始の日だった。
「12月8日未明、帝国陸海軍は、西太平洋上で米英軍と戦闘状態に入れり・・・」という有名な日映の日本ニュースがある。
だが、これは実は再現フィルムなのである。
真珠湾攻撃は、東郷外相にも知らせなかったくらいの極秘事項だったので、日映の撮影班も最初のラジオ放送には間に合わなかった。
そこで急遽駆けつけて、いがぐり坊主頭の軍人にもう一度やってもらって撮影したものなのだ。

           

よくアメリカは、攻撃を知っていてわざと攻撃させたという、太平洋戦争開始を擁護する言説があるが、これをもっても、嘘だということが分かるだろう。
勿論、アメリカはいずれ日本とは戦争になるとは思っていた。
しかし、国内には、欧州での戦争に参戦することに反対の意見は強く、その一人がチャールス・リンドバークで、彼らドイツ支持派は、「アメリカ第一」、つまりアメリカ・ファーストを掲げて戦争に反対だった。
大統領のルーズベルトは、イギリスを助けるために参戦したかったが、この反対派ゆえにできなかった。
それを参戦させてくれたのは、日本の攻撃だったのである。
まことに、世界情勢が分かっていなかったというべきだろう。

『狼火は上海に揚る』は2002年に見たことを言う

$
0
0
12月7日は、日本映画学会の15回大会で京都に行く。会場は京都大学大学院・人間・環境学研究科棟の会議室。
要は、時計台の本部の反対側の奥の会議室。
ここにしても、大阪大学にしても、国立大学は広いなと思う。
大阪大学は、阪急の駅から15分くらい歩いてやっと正門に着き、そこから20分くらいかけて会場に着く。それに比べれば、近いものだが。

2人目の東大の特任研究員の朱芸綺さんが、戦中期の日中映画協力の進め方について発表された。
1942年、国内の松竹、東宝、大映の3社は中国の中華電影と協力し、映画製作を進める。
東宝は衣笠貞之助、松竹は溝口健二が当たったが両者ともできず、大映は稲垣浩監督、阪妻主演で『狼火は上海に揚る』を企画し、実際に中国での撮影もやって無事公開された。
彼女は、これは戦後モスフィルムにあったものの返還フィルムと報告されたので、「2002年に横浜で見ました」と言っておく。
調べると、2002年7月に黄金町のシネマジャックで、やはり阪妻の『狐の呉れた赤ん坊』と一緒に見ていた。
衣笠の中国での作品はものにならなかったが、後に反イギリスの映画『進め独立旗』となって結実している。
『狼火は上海に揚る』は、中国の太平天国の乱で、日本から来た高杉晋作の阪妻が、イギリス帝国主義に怒り、しかし日本もこうなる可能性もあるぞという決意する映画で、これは実話である。
『進め独立旗』は、長谷川一夫が、在日のインド人王子(どこかの藩国の王子だろう)で、日本でイギリスからの独立運動をやっているが、イギリスの諜報員に捉まり、英国大使館に軟禁されるというひどい反英映画なのだ。
このように、実は1941年の真珠湾攻撃まで、日本で反米映画はほとんど作られていなくて、反英映画はあったことも付言しておく。

午後、一橋大の正清健介君がいつものように、小津安二郎の研究。今回は小津映画のタバコで、「たばこを吸えない男性と吸う女性」
小津の映画で、男性がタバコを吸うのは、実は吸うのを止める瞬間を表現しているというもので、当該の作品が映された。
1950年代に専売公社が「タバコは歩くアクセサリー」とのキャッチで、司葉子、団玲子、香川京子等を使って大宣伝をした。
その前に、日本映画でタバコを吸う女性は、水商売、職業婦人、女工など、母性に対立する女性とされて来たとあった。
その通りなのだが、その中に藤純子と江波京子の「女博徒」が抜けていませんかと終わった後、直接正清君に言うと
「緋牡丹博徒は気が付きませんでした」とのこと、江波がタバコを吸っていたかは記憶にないが、緋牡丹のお竜こと矢野竜子は喫煙してように思う。

夜は、学友会館での懇親会で、ここは京大オーケストラの本拠地で、東宝の監督丸山誠治は、オーケストラの一員だったはずだ。
会場は全部木張りで、音が良いようにできている。
ここでは、成瀬巳喜男研究で有名な明治大のスザンヌ・シェアマン先生とお話しする。
先生は、歌舞伎の『たぬき』を見に行くそうで、今月のとは別に『たぬき』という劇があり、山田五十鈴の一八番で、これは立花屋橘之助という女性芸人をモデルにしたものであることを教えると、「なぜ女性が男名前を使うのですか」と質問される。
これは一度調べてみる価値があると思った。
こういう会合に出ると、いつも新しい疑問が出てうれしい。
京都は非常に寒い一日だったが。

『七人の刑事』

$
0
0
TBSの人気番組の映画化、堀雄二、芦田伸介、城戸英夫、佐藤英夫、美川洋一郎、菅原謙二、天田俊明の7人が全員出ている。
冒頭、倍賞千恵子と早川保が横浜の山下公園等を散歩していて、「あれっ、警視庁の話なのに・・・」と思うと、翌日朝戸山が原で女性が殺されていて、7人の刑事が来る。

            

現場の自動車のタイヤ痕などから、自動車修理工の早川が容疑者になる。
女性は、六本木の売春婦であることが分かり、そこで遊んでいたボンボンとして平尾正章も嫌疑が掛けられるがアリバイがあり白になる。
倍賞の姉はモデルの瞳麗子で、そのスタジオに刑事が来たことから、瞳は早川との付き合いをやめろという。
いつもの毎朝新聞の記者園井啓介が出てきて、倍賞と早川を助ける振りをするが、本当は特ダネを取るものだったことが分かる。
途中で、売春婦のヒモで清村耕二が出てくる件があるが、彼もアリバイがあって白。
この辺は、NHKの『事件記者』と混合した部分もある。

最後、もちろん、早川保は犯人ではなく、別の男が逮捕される。
早川は、倍賞千恵子との横浜でのデートの後、「君がほしい」として多摩川付近の旅館に入るが、倍賞に拒否される。
「結婚まではだめ」であり、その後早川は、六本木で娼婦と会ったために、嫌疑が掛ったのだ。
当時「婚前交渉は是か非か」というバカバカしい議論があったが、倍賞千恵子が拒否していなければ、早川は犯人の疑いを掛けられることもなかったのだ。
チョイ役として、中村晃子が餃子屋の店員、香山美子が、園井の住むアパートの隣の娘で出てくる。
脚本長谷川公之、監督大槻義一。
衛星劇場

12月12日は・・・

$
0
0
12月12日は、小津安二郎先生の誕生日で、死去された日である。
この彼の60歳での死を称賛するような言説があるが、私は違うと思う。

            

60歳での死など、生活習慣病の結果以外のなにものでもない。
毎日の飲酒、タバコ、映画製作へのストレスなど、早く死なせてください、と言っているようなものだろう。
1963年12月に小津は死んだわけだが、現在からみれば、この1963年というのは、日本映画最高の年であった。
その後の崩壊を見なくて済んだのは、幸福だったのかもしれないが。

旗照夫、死去

$
0
0


梅宮辰夫の死の片隅に、旗照夫の死が報じられていた。
旗照夫と言っても、もう知る人は多くないかもしれないが、テレビの初期ではよく出ていた歌手だった。
ジャズシンガーだったが、元はモデルであり、男性ファッションモデルの開祖である。
86歳とのことで、日本人男性の平均年齢だが、ご冥福をお祈りする。

『泰山木の木の下で』

$
0
0
三越劇場で、民芸の『泰山木の木の下で』を見た。作者の小山裕士の作品では、『黄色い波』を早稲田の劇研でやった事がある。
亡くなった役者山本亮の強い推薦でやることになったもので、この『泰山木の木の下で』を見てみると、『黄色い波』は随分と穏健な劇だなと思う。
もちろん、時代的な変化もあり、この劇は戦後早い時期に書かれたものなので、原爆と戦争への強い反対意識がある。
これを現在で見ると、その評価についてはいろいろあるだろうが、それよりも興味深いのは主人公のお婆さん(日色ともゑ)が闇の堕胎をやっていたことである。

           

彼女の方法は、堕胎をしたい女性に漢方薬を与えて流産をさせるものだった。
こんなことができるのかと思うだろうが、江戸時代でも人口中絶は全国で行われていたことだった。
民俗学者の宮本常一によれば、多くのへき地、農村では、堕胎や間引きは横行していたことだったそうだ。
そうしないと貧困な地帯では、大人が生きていけないからで、全国で行われていたのだそうだ。
この婆さんの役は、北林谷栄が持ち役としていたそうで、どこか何を考えているのか分からない北林には適役だっただろう。
対して、日色はまじめなので、この女性の持つ複雑さは表現されていないように思えた。
渋谷幹彦のギターと千葉茂則の唄が良かったが、若妻を演じた神保有輝美が美人なのには驚く。

『この星は、私の星ではない』

$
0
0
田中美津と言って、知っている人はどのくらいいるのだろうか。
1960年代末のウーマンリブの活動家だが、すでに70代の女性になっている。
今回、このドキュメンタリーを見て、初めて知ったのは、彼女は「インテリ」ではなく、本郷の魚屋の娘だったことだ。
普通の店で、母親は面倒見の良いお母さんだったようだ。
だが、美津が5歳の時、店の使用人に彼女は性的ないたずらをされる。
母親に言うと、母は激怒し、美津は、その行為が楽しかったこととの分裂に悩むようになる。
この時、彼女は「この星は、自分の星ではない」と思うようになり、まさに自立を目指すようになる。

この店の使用人にいたずらされるというのは、女優の山口果林の本にも書かれていたことで、下町の店ではよくあったことなのだろう。
映画『異母兄弟』の女中に主人が手を付けるのと反対に、使用人がそこの娘に手を付けることもあったのだろうと思う。



田中美津は、ウーマンリブ運動の中で国内から逃れ、メキシコに行き、そこで恋愛し子供を作り日本に戻ってくる。
鍼灸師の資格をとり、それで生活をささえ、息子を育てる。
そして、当然のように、沖縄の基地反対運動の支援に行く。
それは、東宝争議のとき、組合にも共産党にも全く無縁だったが、江戸っ子の弱い者の味方の発想で、組合側を支持した監督五所平之助とおなじだろうと思う。
警官隊、国の沖縄の人々をいじめる者への反感が、彼女の意思の基であるのだ。

会場の横浜シネマリンに行くと支配人の八幡温子さんがいて「5周年なので、お茶をサービスします」とのこと。
ここは元は、松竹系の洋画上映館で、八幡さんの言では、
「同じ伊勢佐木町のニューテアトルとは共に松竹系だったが、どちらも自分の方が少し上だ」と思っていたとのこと。
どちらかと言えば、ニューテアトルは松竹の邦画系で、『釣りバカ日誌』のラスト作もここで見た。
黒澤の『まあだだよ』も、そこで「唖然」としたものであることを思いだした。
Viewing all 3529 articles
Browse latest View live