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Channel: 指田文夫の「さすらい日乗」
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『四谷怪談』

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『四谷怪談』と言えば、中川信夫監督のが有名だが、この豊田四郎監督のも、良いと思う。

              

1965年に東京映画で作られたもので、話は鶴屋南北のものと同じである。
ただ、これの特徴としては、伊右衛門(仲代達也)とお岩(岡田茉利子)ではなく、お岩の妹お袖(4池内淳子)と与茂七(平幹二郎)、さらに直助(中村勘三郎)の悲劇の方にも重点が置かれているところだろう。
これは、もちろん松竹から勘三郎という超大物を招いて作られたからに違いない。

特に、池内淳子の演技が非常に良い。
勘三郎をはじめ、仲代、平、さらに三島雅夫の当り役の宅悦らに挟まれて、池内は非常に頑張っているように見える。
また、監督の豊田は、女優に厳しい人だったそうで、ここで池内も豊田にしごかれたのだろうと思う。

ここでさらに良いのは、水谷浩の美術で、四谷という谷底のような土地にある伊右衛門宅等が上手く作られている。
この東京映画と言い、中川信夫の新東宝といい、どちらも小さな撮影所で撮られているのが面白い。
それは、元が芝居だからかもしれない。


『忍びの者・伊賀屋敷』

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八千草薫が亡くなったので、彼女をしのんでこれを見た。

1965年の夏、高校3年の1学期の期末試験が終わって蓮沼のヒカリ座に見に行った。
本当は、これではなくバーニーガール姿の高田美和の『狸穴町0番地』のポスターに引かれて見に行ったのだが、八千草薫の可愛さに参ったのだ。
この時、24歳だったはずだが、ともかく可愛かった。
今日、あらためて見てみると、さすがに宝塚の出身なので感情表現が的確で上手い。

大映の「忍びの者」シリーズは、ある日社長の永田雅一の夢に「忍者ものをやればあたる」というお告げがあった。
そして、なぜか元左翼独立プロの伊藤武郎に「お前がやれ!」と言われて始まったのだそうだ。
だから、最初は山本薩夫が監督して大ヒットになり、2作目からは大映京都の職人監督たちが手堅い秀作を作った。

ここでは、島原の乱で死んだ霧隠才蔵の息子才介が14年後に江戸で(市川雷蔵の二役)、宿敵松平伊豆守(山形勲)の命を狙っている。
江戸で幕府に反旗を翻そうとしている油井正雪(鈴木瑞穂)、丸橋忠也(今井健二)らと組み、紀州大納言・北竜二を動かして、将軍家光の死去の空白に一旗揚げるが幕府に一網打尽にされる。
八千草は、真田幸村の遺児で、才介と幼馴染で密かに恋仲とされている。
だが、彼女は伊豆守の知略で、甲賀忍者にもされていて、彼女のアクションもあり、また、黒装束の忍者姿も良い。
もちろん、油井正雪らの反乱は失敗し、雷蔵と八千草は共に自由な人間として生きてゆく。

当時、これを見て発見したことは二つあり、一つは八千草が非常に可愛いということ。
もう一つは、監督の森一生は、「こんな娯楽映画を作っているが、本当は相当に反体制的な人ではないか」とのことで、
どちらにも、この映画で私は大ファンになったのである。
事実、森は、京都大学時代は左翼的活動をしていて、その性もあり、当時二流映画会社の新興キネマ京都撮影所に入ったのだ。
彼の作品には、『薄桜記』のような名作時代劇もあるが、『ある殺し屋』『ある殺し屋の鍵』の市川雷蔵の現代劇名作もある。

『少年H』

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妹尾河童の名を知ったのは、フジテレビで、多くの番組の美術に、その名があったのだ。
その後、デザイナーとして細密な絵と文章、鋭い批評で知られるようになった。



この『少年H』は、彼が神戸市で育った小学校から中学時代のことである。
興味深いのは、洋服屋の彼の父親、そして母が相当に厳しいキリスト教徒であることで、西欧的になろうとする生活態度は特異である。
神戸ナザレン教会で、当初はまだ普通で、多くの信者がいるが、父の仕立服の客である外国人が次第に減ってゆくように、時代は戦争に向かっていく。
この辺の、神戸の外国人社会が垣間見えるのは、面白い。
そこには、ポーランドからシベリア鉄道を経て来日し、神戸から船でアフリカに行き、アフリカ大陸を北上してパレスチナに行くユダヤ人の連中もいる。
もちろん、敵国の宗教であるキリスト教徒の一家への迫害は次第にひどくなり、米国に戻った宣教師が送ってきた絵葉書の「摩天楼」を見せたことから、スパイ容疑で父は特高の調べを受ける。
こうした当時の戦時体制の異常さを子供の目から描いた作品は少なく、それは貴重。
戦争の進行で、父は消防署員に、母は、隣組の班長になり、そのことでなんとか協力を現して迫害を逃れようとする。
Hは言う、「隠れキリシタンみたいだ」
1945年3月の神戸空襲で、町は焼き尽くされる。
家が焼け落ちるとき、道端に倒れて動かない母親を揺り動かして、動いたとき、母はHに言う。
「祈っていた」 これには笑った。

戦後、空襲の中に家から持ち出して焼け焦げになったが、何とか本体が残っていたミシンを使って父は仕立てを始める。
父親役は、水谷豊、母は伊藤蘭。
昔、チャールス・ブロンソンとジル・アイアランドの共演映画が公開される度に、「また夫婦タッグマッチか」との批判があったが、これはそうはひどくない。
監督はいつもはだらだらしている降旗康男だが、これは編年体で、脚本は元劇作家の古沢良太なので、比較的普通に見られる。

日本映画専門チャンネル

八千草薫と強姦ごっこ

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八千草薫が亡くなり、いろんなことが書かれているが、まずないだろうと思うことを書いておく。



『アニメ・プロデューサー鷺巣政安』には、傑作なことが書かれている。
但馬オサムが、うしおそうじ氏から聞いた話として、映画監督の谷口千吉が90歳くらいの時、
うしお氏は谷口に「なぜそんなにお元気なんですか」と聞いた。
その時、谷口は言った。
「なんたってうちは強姦ごっこだよ!」
隣にいた八千草薫は、なんとも言えない顔をしていたそうだ。


たしかに八千草薫を相手に強姦ごっこをしていれば元気になるにちがいない。
谷口千吉は、最初の妻の水木洋子は別として、若山セツ子、そして八千草薫と、言ってみれば「ロリ・コン」だったと思う。
現在で言えば、浅田美代子、そして森下愛子と結婚した吉田拓郎のような男だったのだろう。

白坂衣志夫の本に書いてあったことだが、晩年でも「水木洋子は、谷口千吉のことが忘れられないんだなあ」と八住利雄に言われていたのだそうだ。
その意味では、谷口千吉は非常にもてる男だったのだろうと推測される。

小池百合子に同情する

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夕方家に戻ってきてテレビを見ると、五輪のマラソン会場について、IOC,東京都、JOC,政府等が議論しているのが放送されていた。
要は、小池知事には前日に知らせがあり、突然札幌に決めてしまったと怒っていた。
そして、同時通訳があるのに、自分一人で英語、さらに日本語で話していた。
まるで、「私しかできないでしょう」というように。
もちろん、こうした態度が周囲から常に反発されてきたわけだが、今回は小池外しで、事態が進行していたようだ。



昔から、私は小池百合子は嫌いだったが、これには少し同情した。
IOC,JOC、そして森元首相、「ノー・パンしゃぶしゃぶ」で辞任した武藤元大蔵次官らに囲まれて一人孤立しているように見えた。
来年の都知事再選は難しいなあと思う。

『令和版・怪談牡丹燈篭』

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『令和版・怪談牡丹燈篭』が終わった。
前回の『薄桜記』と言い、NHKの時代劇は非常に良い。
NHKから国民を守る会は、これらをきちんと見ているのだろうか。
民放のくだらないトーク番組こそ、撲滅すべきだと私は思うのだ。



原作は、萩原家の使用人だった伴蔵とお峰夫妻が、秘仏を持ち出して江戸を離れ、栗橋宿に行き、荒物屋を始めて成功する。その辺の有為転変も非常に面白いのだが、全4回の放映なので、最後は短くなっていたが、出来は悪くない。
特に、飯島平左衛門の側室になる尾野万千子、放蕩者の飯島家親戚の源次郎の柄本佑の二人の、どうしようもない悪が非常に良かった。

そして、あらためて興味深かったのは、江戸時代から昭和の戦前までの日本の社会が、完全なレッセ・フェールの完璧な自由主義経済社会だったことである。
そこでは、伴蔵のように、個人の才覚で突然に大成功するかと思うと、一夜にして破産してしまうのだ。
宵越しの金は持たないことが美徳だったように、貯蓄や保証に一切興味がなかった社会なので、本当に有為転変は世の習いだったのであろう。
それにしても、三遊亭圓朝は凄いストーリーテラーである。

転んでもただでは起きぬ女 小池百合子

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大山鳴動して、鼠一匹というべきか。
私は、マラソンも東京でやって死者が出て、これで地球温暖化の深刻さに皆気づいて、温暖化対策が進めば良いと思っていたが。
そうなれば、歴史的意義のある五輪として長く残ったと思うが。
いずれにしても、もともと東京での五輪開催は、石原慎太郎元知事が、掲げる政策がないので打ち出したという最初の出だしに誤りにあるのだが。
諸悪の根源は石原慎太郎なのである。

さて、今回のマラソンの札幌開催で、想像できるのが、小池百合子の関係者との取引である。
IOCとは、五輪後に東京でマラソン大会をすることになったそうだ。

森元首相らの自民党とは、なにを取引したのだろうか。
普通に考えれば、来年の都知事選挙で、自民党は小池を支持する、あるいは少なくとも反対はしないではないだろうか。
そう考えると、小池百合子のしたたかさの凄さが分かる。



日本で最初の女性首相になるのは、小池百合子だろうか。
私は、小池はいつも本当のことを言っていないように見えるので、大嫌いだが。
しかし、最近は小池は少し肥満気味みみえる。
都知事はよほど暇なのか、それとも食事が贅沢なのか。

『めまい』  天地真理が出ていた

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辺見マリのヒット曲から作られた歌謡映画。
脚本は石森史郎、監督は斎藤耕一で、1971年3月公開の松竹映画。

      

地方都市、と言っても東京からそう遠くなく、藤沢などの湘南あたりの町で、辺見マリを囲む3人の青年がいる。
森次浩司、ジャイアント吉田、そして萩原健一。
マリは、どういう経過からは不明だが、東京で歌手として成功している日常が描かれる。

私の大学の先輩にTさんという人がいて、私と違い4年で早稲田の商学部をきちんと出たのだが、サラリーマンにならず、印刷工場の職員(昔風に言えば職工)で終わった人がいる。
要は束縛が嫌いなのだが、プロレスの大ファンで、高校野球が嫌いだった。理由は、「まじめにやっているのが嫌だ」というのだ。
この人が好きなのは、「歌手は辺見マリ、女優は渥美まり」で、渥美マリは、私も同様だが。

3人の男、森次は父の跡を継ぎ歯医者になろうとし、ジャイアントは教会の牧師補(神父はスマイリー小原)、萩原は実家の自動車修理工場を手伝いながらカー・レーサーの道を目指している。
辺見は、父母が死に、板前の有島一郎、その娘の氾文雀、小川ひろみらのところで育てられたことになっている。

萩原と范は相思相愛だったが、なかなか結ばれずもたもたしている。
有島が同棲している若い女は城野ゆきで、妻は死んでいるようだ。
范は、ナイトクラブのような店をやっているが、ある日、そのフロアでいきなりスクールメイツのような少女たちが踊るが、中心の女は、斎藤マリ、後の天地真理であるのには驚く。
天地真理ちゃんも、下積みの時代があったわけだ。

いろいろとつまらない筋書があるが、最後は萩原は范と、森次は小川と結ばれることが示唆され、ジャイアントはイタリアに留学することになる。
最後、辺見マリが歌う広場があり、ドリームガーデンと言っているが、松竹得意の横浜ドリームランドではない。こんな広場のあるレストランが湘南地区にあったのだろうか。
この映画は、斎藤監督と萩原健一の出会いであり、後に二人は、映画『約束』を作ることになる。
衛星劇場

『渚の白い家』

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テレビ初放映の意味はいろいろあろうが、これはテレビ映画、「火曜サスペンス劇場」のレベルだから放映されなかったというべきだろう。
舞台は、ハワイで、浅丘ルリ子の夫の木村功は、日米合弁のサトウキビ工場の社長、だが浅丘の家が大株主とのこと。
浅丘は、なにもすることがないが、次第に男の亡霊を見るようになり、夫婦の仲は疎遠になってゆく。
ある夜、海岸に出ると浅丘の前に全裸のたくましい男が現れ、セックスする。
男は、当時人気絶頂だった名高達郎で、全裸だが、チンポは見えないのは誠に残念でした。

         

木村は、ハワイでの事業が上手く行かないとして日本に帰えり、その間に浅丘は、名高のいる島に飛び、ここでは完全にセックスする。
家に戻ると、木村がいて、全部追跡していて写真も撮ったというが、そこには浅丘の姿だけで、名高は写っていない。
ともかく、浅丘は、名高と共に海に行き、名高の姿は消えてしまう。
「私が殺したのだ」と名高の死体を見て恐怖する浅丘。

だが、これは木村と愛人の大信田礼子が、ハワイのヒッピーの名高を使ってやった芝居なのである。
木村と大信田は、名高を殺そうとするが、逆に脅されて、二人は拳銃で殺されてしまう。
最後、一人になった浅丘は、刑事から「殺人ほう助にも当たらない」と言われてエンド。
いったい何なの、この映画はと思うしかない。
脚本共作の千野晧司は、東京ボン太の喜劇も撮ったが、日米密約の西山事件を描いた『密約』もあり、まじめな人だと思うが、どうしたことなのだろうか。

監督の斎藤耕一は、もともとは東映、日活のスチール・カメラマンで、石原裕次郎の親友であり、ジャズのレコードのコレクターで有名だった。
だから、いつも画面と音楽(ここではハーバート大田)は良いが、筋は相当にいい加減である。

衛星劇場

『でっかいでっかい野郎』

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1969年に公開された渥美清主演作品、監督は野村芳太郎。
南田松次郎こと渥美が、三池から若松に来て、保護司の医師長門裕之のところに来て、病院で大暴れするが、人間は悪くなく、港で働くことになる。
保護司は、地域に置かれているもので、保護観察中の者に対応する人で、従来は地域の名士がなっていたが、最近はなり手がなく、警察OBが多いようだ。
渥美は、いろいろと問題を起こすが、中で「無法松太鼓コンクール」にでる件があり、映画『無法松の一生』の乱れ打ち等がある。
何度も書いている通り、祇園太鼓は、本来は花柳界の優雅なもので、映画での奏法は、最初の阪妻版の時、監督の稲垣浩が音楽担当と工夫し創作したものである。

話は、病院の事務職員で、キャバレーでアルバイトをしている小林加奈に渥美が惚れていくが、小林は、バンドマンの大野しげひさと引かれて最後は大阪に駆落ちする。
要は、「男はつらいよ」のように渥美清が、マドンナに惚れるが振られる筋書で、この頃、野村芳太郎や山田洋次は、「馬鹿シリーズ」等で、こうした映画をいくつか作っていた。
中で、野村の『拝啓天皇陛下様』、『山田の『なつかしい風来坊』、『吹けば飛ぶような男だが』のような秀作があった。
ここでは、渥美の他、ハナ肇となべおさみが主演だったが、これらを統合したのが、渥美の「男はつらいよ」だったと言えるだろう。

もう一つ興味深いのは、主要人物として、小林の祖父として通船の船長として伴淳三郎が出てくることだ。
意外と思われるかもしれないが、戦前から1950年代まで松竹の喜劇の王様は伴淳三郎だったが、この辺で渥美清と交代するようになったことだ。
この頃から、次第に伴淳は、他社での出演、東京映画での「駅前シリーズ」などに移行していくのである。

衛星劇場

『赤と青のブルース』

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マリー・ラフォレが亡くなったので、以前蒲田のビデオ屋で買ったビデオを見る。



1960年の作品で、夏のバカンスの時期に、パリの若者ジャンピェールが、幼馴染のマリアンヌ(マリー・ラフォレ)を誘って車でサントロペに行く。
その避暑地で起きるひと夏のできごとで、劇的には大したことはおきない。
随分前に、深夜に日本テレビで見たこともあるが、ドラマ的には驚くことは起きない。
最後、二人は結ばれることが示唆されておわるが、それは結構幸福な気分である。

この映画は、作品的には大してことはないが、日本映画には大きな影響を与えている。
今年亡くなられた監督降旗康男のデビュー作『非行少女ヨーコ』は、新宿の不良少年少女を描いた映画で、高倉健の座付監督となった降旗からは想像できない前衛的な作品だった。
このラストで、洋子は、サントロペに行くのである。ただし、横浜から貨物船でというのが泣けるが。
また、この『赤と青のブルース』の筋書が弱くてとりとめのない感じは、日活の監督藤田敏八の作風にも大きく影響していると私は思う。

坂東富貴子舞踊公演『狐 葛の葉』

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国立小劇場で、坂東富貴子舞踊公演『狐 葛の葉』が行われた。
葛の葉は、『しのだづま』で、説教節から浄瑠璃、歌舞伎に取り入れられ、映画でも内田吐夢監督で『恋や恋なすな恋』として作られている。
これが大川橋蔵の安倍保名と嵯峨三智子の葛の葉で、結構面白い作品だった。

安倍清明に命を助けられた信田の狐が女として現れて婚姻し、子までなすが、ある時蘭菊に見惚れていて正体を現してしまい去る。
その時、「恋しくば訪ね来てみよ 和泉なる信太の森の恨み葛の葉」と障子に書く。
これは異類婚姻譚で、そこには被差別部落の問題が隠れているとの説もあるが、ある種の異なる文化の間で婚姻が行われた時の困難さだと言えるだろう。
吉本隆明風に言えば、「共同幻想」と「対幻想」は本質的に対立するからだとなる。

    

今回の公演も、言うまでもなく、ふじたあさやの『しのだづま考』にヒントを得たもので、演出もふじた氏である。
しかし、坂東富貴子は、そこに昔、彼女が二代目若松若太夫の『葛の葉 子別れの段』を聴いて感動した体験に合わせ、
まず泉州信太山盆踊りから始まり、桂春蝶の語りと三代目若太夫の説教で序段が語られ、そこで坂東富貴子が一人踊る。
狐、保名、葛の葉を前半は素踊りで踊り、後半は女義太夫、さらに最後は故杉本キクの瞽女唄で踊るという大変に贅沢な趣向だった。
あらゆる分野で、女性の力が見直される今日、異類婚姻譚の持つ意味は深く重いと思わされた。
国立小劇場

『男の掟』

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渡哲也は、日活最後のスターとして売りだされ、石原裕次郎作品のリメイクが多かったが、ほとんど当たらなかった。
唯一の秀作は、舛田利雄監督の『紅の流れ星』だった。
1968年には、『「無頼」より大幹部』が公開されて、裕次郎とは違うイメージがやっと探りあてられた。
裕次郎の明るさに対し、渡は少し暗いイメージがあるからである。
役者の持つイメージと作品は、合致しないとヒットしないものなのだ。



1968年の江崎実生監督のこれは、木場の建築業の宗方家を描いていて、当主は辰巳龍太郎、息子は長男堀雄二と三男の渡で、次男は南方で真珠貝採取をやっていたが、事故で死んでいる。
冒頭は、神社(富岡八幡か)の祭礼で、辰巳組の幹部の丹波哲郎が、敵対する組長を1960年に刺殺して刑に服し、8年後に出てくるところから始まる。敵の組長は、植村健二郎のようだが、よく見えなかった。
高度成長の開始時期に始まり、好景気の真っ最中の時にドラマが展開される。
東映のヤクザ映画に対し、日活はモダンなので、東映の明治・大正ではなく、現代を舞台にヤクザ映画を展開せざるをえない。ここは、非常に苦しいところである。
製作者の伊地知啓も、「東映のヤクザ映画をなんとかして盗んで・・・」と言われたと言っている。

丹波が出所してくると、組は近代的な会社になっていて、辰巳は社長、堀は専務、渡も取締役。
敵対する組は、植村の息子小池朝雄が社長になっていて、辰巳の会社を潰そうといろいろと企んでいる。
国の団地の造成工事に、辰巳の会社が入札で宗方が勝つが、小池の策略で、わざと負けたのだ。
そこに、死んだ次男とフィリピンで結婚したという野際陽子が現れ、次男の遺産の分け前を要求する。
だが、それも小池の策略で、野際は詐欺師の名和宏の妻だった。
野際陽子が、当時流行のミニ・スカートで現れ、軽い渡は、すぐに「きれいな足だ・・・」という。
丹波の妹の太田雅子(梶芽衣子)は、渡に惚れているので、怒る。

渡辺武信氏によれば、「アクションと人情話が混合して中途半端」とあるが、辰巳の妻で坪内美詠子が出ているなど、確かに若者の世界と中年のが混淆している。
野際陽子の嘘を暴くため、渡と堀雄二が、野際を詰問すると『七人の刑事』風になるのがおかしい。
最後は、カーレースと工事機械の交渉のために渡哲也が、羽田空港からノースウエスト航空でアメリカに行くところでエンド。
まだ、もちろん羽田が国際空港で、ノースウエスト航空もまだあったのだ。今はデルタ航空になっているらしい。
木場もまだ、貯木をしていて、木場らしい情景があるが、今は新木場に移転している。

チャンネルNECO


『眠狂四郎・勝負』

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1964年、大映の正月映画、市川雷蔵主演作の「眠狂四郎」シリーズ2作目で、監督は三隅研次。
雷蔵の代名詞のようにみられている「眠狂四郎」シリーズだが、実は雷蔵が最初ではなく、鶴田浩二で作られている。

        

正月の愛宕山で、狂四郎は、不思議な老人加藤嘉と出会うが、実は幕府の勘定奉行で、腐敗不正が横行する幕府や世の中に非常に憤っている。
狂四郎は、そんなことには無頓着に生きている。彼は、向島の投げ込み寺に住んでいて、二八蕎麦屋から弁当を取って生きているが、そこの娘は高田美和で、まだ清純派そのもの。

加藤嘉と眠狂四郎を付狙う悪党の親玉は、須賀不二雄で、将軍の娘で驕慢な久保菜穂子の贅沢を勘定奉行の加藤嘉が削減したことから、加藤を暗殺しようとし、狂四郎は須賀に対決することを決意する。
須賀は、柳生但馬との勝負を企むが失敗する。柳生が恩田清次郎という地味な役者なのがいい。

もちろん、最後は狂四郎が勝つが、全体として大映京都らしい、美術、小道具等が本物のように見えて素晴らしい。
1964年は、今から考えれば、日本映画は最高の年だった。
だが、この年の秋に東京オリンピックが開催され、日本人はテレビで見る、スポーツの本物のドラマの方に魅力を感じ、映画館に行かなくなったのである。
この時期に、映画館で賑わっていたのは、勝新太郎の「座頭市」とピンク映画だけだった。
この暴力とエロが、その後の日本映画の「救世主」となるのだが、それは1964年から始まっていたのである。

『大菩薩峠・完結編』

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WBSCで、日本が勝ち、時間があったので、録画しておいた1961年の市川雷蔵主演の『大菩薩峠・完結編』を見る。
監督は森一生で、森自身は「三隅研次がやった方が良かった」と言っているが、1、2部との違和感はない。
脚本は、すべて同じ衣笠貞之助だからだ。



実に面白く、次から次へと、筋が展開し、珍しい集団が出てくる。
タイトル前に、1、2部の粗筋が紹介されるなど、昔の映画らしく、見る者へのサービスも良い。

さて、この大河小説の一つの意味は、近藤恵美子が演じる、お玉が唄う「間の山」に象徴される、被差別民の文化、通常の世間の他にある社会の姿だろう。
天誅組や浪人集団もそうだが、見明凡太郎の盗賊、崖から落ちた机龍之介を救う薬売りの女集団など、不思議な連中が出てくる。
「間の山」については、内田吐夢監督、片岡知恵蔵主演の『大菩薩峠』には、この件が結構重く描かれていて、それを入口にした「人権研修ビデオ」もあり、職場で見たが非常に面白かった。

また、いろいろと難に遭う龍之介だが、その度に救う女が現れる。お豊、お銀、そして元のお浜だが、全部中村玉緒が一人で演じる。
小屋の爆破で盲目になった龍之介は、お銀に会ったときにいう、「目には見えないが、その声、その体、よく似た女に会ったことがある」
これは、実は問題が逆だと私は思う。
男女とも、人が惹かれる異性は、ある種同じタイプになっていており、だから似た異性に惹かれるのだと思う。
それは、DNAに書かれているのだと思うのだ。

最後は、甲斐の国に戻った机龍之介の村を大嵐が襲い、彼は子の名を呼びながら、濁流に呑まれて死ぬ。
それを見ていた宇津木文之丞の本郷功次郎も、仇討ちを否定する和尚の言に頷き、その死を見つめて終わり。
市川雷蔵の龍之介は、他の者とも比較し、台詞の持つニヒリズムがすごく、一番だと思う。
時代劇専門チャンネル

『戦うパンチョ・ビラ』

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20世紀初頭のメキシコ革命で活躍したパンチョ・ビラと、彼に協力したアメリカ人ロバート・ミッチャムの友情を描く。
監督は、バズ・キューリックだが、脚本にサム・ペキンパーも参加している。彼の名作『ワイルド・バンチ』でもメキシコ革命のことが出てきていて、ペンキンパーは興味があるのだろう。

         

ミッチャムは、複葉機でメキシコに飛んできて、10丁の銃を空輸してきて政府軍に売り儲ける。
だが、住民から、反政府軍のパンチョ・ビㇻの方を支持していることを知る。
彼は、盗賊上がりだが、賢くまた正義感で、次第にミッチャムは彼に惹かれていく。
パンチョ・ビラ役は、ユル・ブリンナーで、さすがに声が素晴らしく良く、威厳と正義感が良く表現されている。
パンチョは、鉄道隊との戦闘で、飛行機の上からダイナマイトを落とす作戦を考え、部下のチャールズ・ブロンソンも手伝って成功する。
だが、メキシコ大統領は、軍の司令官ウェルターの立場も尊重し、パンチョ・ビラとミッチャムは一時は逮捕されてしまう。
だが、銃殺の直前に、大統領からの中止命令が来て、パンチョ・ビラは助かる。
この銃殺ぎりぎりまでやれせ、中止させるのは、ドストエフスキーの小説からの引用なのだろうか。

メキシコ大統領は、ウエルターによって暗殺され、ミッチャムは仕事は終わったとしてアメリカに戻る。
そこにパンチョ・ビラらが迎えに来るが、「まだ人を殺すのか」と拒否する。
少数のパンチョ・ビラらがメキシコシティーに進軍すると、上空からミッチャムの複葉機が飛んでくる。
正確な歴史的事実は知らないが、アメリカとメキシコの協力を描く気持ちの良い作品である。


『天才激突 黒澤明VS勝新太郎』

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BSの「アナザーストーリー」で、1979年の『影武者』撮影の際の、黒澤明と勝新太郎の衝突、勝の降板事件が、それぞれの側の人間によって証言された。

          

黒澤側は、スクリプターの野上照代、勝側は、弟子の谷崎弘一、両者から中立の立場として白井佳夫。
この事件について、黒澤の助監督であり、勝とは映画『王将』で監督したこともある堀川弘通は、「ビデオ事件は、勝は黒澤がどこまでやれば許してくれるか、試してみたが、それに失敗した・・・」と黒澤明の評伝で書いている。
堀川の『王将』では、勝新太郎は「借りてきた猫のようで、非常に大人しく何のトラブルもおこさなかった」そうだ。

また、この番組で、野上は、「黒澤がテレビを見て、勝新太郎・若山富三郎兄弟が似ているので、これでヒントを得てシナリオを構想した」というのは間違いだ。
勝・若山兄弟で1本の映画をと考えたのは、東宝である。
なぜなら、1970年代当初、東宝で最大の娯楽作品は、若山の『子連れ狼』と勝の『座頭市』だったのだから、会社としては当然である。

また、勝がメークの資料を求められ大量のスチール写真を送りつけてきたころから、黒澤が不快感を持ったというのも違い、その前にあった。
映画化が決まって、黒澤と勝、さらに主要スタッフはロケ・ハンに各地に出た。
そして、夜は当然に宴会になる。
その時、勝は当意即妙の話術で場を多様に盛り上げる。
だが、黒澤は、昔の自慢話だけで、次第に宴席は、勝新太郎中心になっていって、黒澤は非常に不愉快になっていた。
また、出自の違いも大きかった。勝は、長唄の杵屋家の御曹司で、酒席はお手のものだった。
だが、黒澤の父黒澤勇は、下級軍人から退職して日本体育会の理事になったが、大正3年には首になり、家はどん底になった。
要は、貧乏でまじめな軍人の家だったのだ。
この辺のことは、拙著『黒澤明の十字架』(現代企画室)をお読みいただきたい。

さらに、この時期、1965年の『赤ひげ』で、東宝と手を切った黒澤は、自分のプロでの『暴走機関車』『トラ・トラ・トラ』とアメリカ進出に失敗し、自分の家を抵当に入れて作った『どですかでん』は、大赤字で、『野良犬』の原作の権利を松竹に売るまでになっていた。ここも堀川の本に出てくる。
一方、勝新太郎は、大映は潰れたが、勝プロでテレビや映画を作っていて、特にアジアで大人気だった。
こうした二人の状況の差が、事件を生んだと言えるのだろう。

勝は、黒澤の力を過信していたし、黒澤は勝の演技、フランスのヌーベルバーグ、ゴダールのような即興演出に興味を持っていた新時代の役者であることをまったく理解していなかった。
勝新太郎は、映画界に入る前、「吾妻歌舞伎」で渡米したとき、ハリウッドでジェームス・ディーンに会い、彼の自然な演技に感銘を受けていたのだ。
そうした成果は、森一生監督の『続・次郎長富士』の、森の石松が、アンジェイ・ワイダの映画『灰とダイヤモンド』のチブルスキーの死を模倣した勝の演技に出ていたのだから。

だが、これでもし、勝新太郎主演で『影武者』が公開されていたら、欧米の映画人にも勝新太郎を評価する監督や会社が出てきただろうと思うと残念である。アジアや第三世界では、勝の『座頭市』は大ヒットしていたのだから。
黒木和雄の『キューバの恋人』では、座頭市の真似をするパレードの男がいる。

『日本映画講義・戦争・パニック映画編』 町山智弘・春日太一(河出新書)

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この二日間、寒くて外に出るのが嫌だったので、買ってあった本を読む。
映画漫談としては、非常に面白い。
取り上げられるのは、『人間の条件』『兵隊やくざ』『日本の一番長い日』『沖縄決戦』『日本沈没』『新幹線大爆破』、そして三船敏郎について描いたドキュメンタリーの『MIFUNE』
いろいろと知らなかったこともあり、参考になるが完全な間違いもある。

              

『人間の条件』についてで、カメラの宮島義勇が中国での戦争体験があるので、北海道ロケで満州の雲とは違うといって「雲待ち」をしたというところ。
宮島は、中国はおろか従軍体験がない。一応、戦争末期に彼にも徴兵令状が来たそうだ、だが東宝の責任者の森岩雄が、
「宮島は必要な男だから」と軍と交渉してくれて、代わりに玉井正夫を出した」
『ゴジラ』の、『浮雲』の玉井正夫である。しかし、「玉井君は、体が弱いとのことで従軍しなかった。結局、私は徴兵忌避者となる」と偉そうに書いている。
第一、宮島は、満州には行けなかったと思う。
なぜなら、満州、満州映画協会には、プロキノの先輩で委員長の監督木村壮十二がいたので、木村の下の宮島が行くはずがない。
また、ロケ地についても、鉱山は北海道と書いているが、これが秋田の小坂銅山なのは有名な話。

全体として、戦後の多くの日本映画の秀作が戦争に絡んでいたのは当然で、日本人と日本が、明治以降の近代で体験した最大の事件は、太平洋戦争とその敗北だったのだからだ。
いわば、戦後日本の戦争映画は、『平家物語』のような国民的叙事詩だというのが私の考えである。

キリスト教が布教に失敗した国はどこか・・・日本

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明日、ローマ法王が来日される。
38年ぶりとのこと。

      

言うまでもなく、法王は、世界のカソリック教徒の最高の位置におられ、本来政治的な立場はないが、その言動は世界中に大きな影響を与えてきた。
さて、そのように世界中に大きな影響のある法王だが、世界でキリスト教が、カソリックのみならずプロテスタントも含めて布教が上手くできなかった国、地域はどこだろうか。

意外にも、それは日本である。
かつて日本のキリスト教の信徒は、5%くらいと言われていた。
だが、今はもっと少ないと思う。
その理由は、日本には天皇がいるからであり、また太平洋戦争中に、日本ではキリスト教は戦争に対して抵抗しなかったからだと思う。
明治、大正、昭和(戦前)の時期は、平和と民主主義を目指す運動としてキリスト教の存在があったが、戦時中以降はいなくなったことが存在意義の喪失になったと私は思うのだ。

                

鈴木則文監督の映画『聖獣学園』で、神父役の渡辺文雄は言う、
「アウシュビッツで、広島で、長崎で人は何をしたんだ、その時神はなにをされていたのだ、神は死んだのだ!」
と叫び、多岐川由美をはじめ、女を犯しまくる。
なかなか意義深い映画だと思ったものだ。
みちろん、多岐川由美の裸を目当てに見に行ったのだが。

加藤茂雄さんが大演技している映画は

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元東宝の俳優だった加藤茂雄さんの主演映画『浜辺の記憶』が上映されているので、シネマジャックに行く。
鎌倉で漁師をしている加藤さんを主人公とした劇映画で、「長生きも芸のうち」を思いださせた。

さて、加藤さんが、大演技している東宝映画がある。
恩地日出夫監督、内藤洋子、田村亮主演の『あこがれ』である。
これは、元は横浜市中区にあった児童養護施設出身の二人を主人公とした作品で、テレビで『記念樹』として放映されたものの1つである。

最後、田村亮の母親の乙羽信子は、日本からブラジルに移民することになり、横浜の大桟橋から「さくら丸」で出航する。
これは、実際に船の出航に合わせて、俳優を船に乗せ、ロケ撮影したものだそうだ。

この中で、船のデッキで息子の田村亮に向かって手を振る乙羽の左隣で、大声で叫んでいる男性がいるが、これが加藤さんだ。
また、桟橋に来ている施設長の小夜福子の隣にいる職員も、記平良枝さんで、この方も東宝の俳優だった。
皆、俗に言う「大部屋役者」であるが、東宝と専属契約していた俳優だった。

このように、東宝はじめメジャーの映画会社には、スター俳優の他に、専属の俳優が数百人いて、群衆シーンを作り上げていた。
野球でも、スターの選手以外にも、脇役の選手、代打、代走、さらにリリーフ投手などの活躍を得て試合を戦うものだ。
同様に、映画もスター俳優以外の脇役から、その他大勢の「ガヤ」と言われる俳優がいて、初めて成立するものだった。
もちろん、逆に言えば、多くの専属俳優を抱えていられるのは、人件費が安かったからであり、1960年代中ごろに、各社は契約制度を変更し、専属制を止める。
そして、現在のように、その作品ごとに俳優のプロダクションから必要な俳優を出してもらうようになる。
その意味では、昔の日本映画は、非常に多額の予算で作られているので、出来が良いといいことになるのだと言える。


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