昨夜は、黄金町のたけうま書房でトークイベントをしましたが、満員盛況でした。お出でいただいたみなさん、本当にありがとうございました。
また、ゲストの鈴村たけしさんには、私のプレゼンが大幅に延びて、トークの時間が大変に短くなってしまい、誠に申し訳ありませんでした。
ただ、小津安二郎の1933年の問題作『非常線の女』を見ていただけたのはとても良かったと思います。
戦後の小津作品とはまったく異なり、ビル街の人間の姿の大俯瞰から始まり、タイプライターの列の横移動、帝拳ジムでボクシングを練習する三井秀男(弘治)、そして日本最高だったダンスホール「フロリダ」で乱舞する男女、また軽薄な若者たちの姿。
対して、三井秀男の姉水久保澄子との生活が純和風で、堅実であることの対比。
最後、三井が、姉の職場のレコード店の金を使い込んでいた穴埋めに、昼は可憐なタイピスト田中絹代が、元ボクサーで今は夜は町のギャングのボスの岡譲二と、絹代に惚れている社長のバカ息子からピストルを突き付けて金を強奪して逃亡する暗黒街ものの話。
最後、絹代は岡譲二の足を撃ち、「もう一度やりなおそうと」言って、二人は逮捕される。
これは、1932年に蒲田撮影所の隣町大森で起きた「共産党ギャング事件」をヒントにしたものだと思う。
『生まれてはみたけれど』のように、穏健な社会批判を秘めていた小津安二郎は、この『非常線の女』の後は、社会批判をやめて、「喜八もの」と言われるのを代表に、その階層はいろいろあるが、基本的にはメッセージはなくなり、普通の人情劇になってしまうのである。