江東区森下といっても、両国に近い千歳1丁目なのだが、恐らく東京で唯一、渡辺信夫さんがやっている私立図書館の眺花亭のビデオ鑑賞会に行く。
その前に、時間があったので、渋谷のシネマヴェーラで『アレキサンドル・ネフスキー』を見たが、最後は眠ってしまう。
多分見たのは昔ATGでのと2回目だと思うが、ロシアも蒙古、スエーデン、ゲルマンの侵略を受けているわけだ。
「戦後世界で、自国の領土を広げたのは、ソ連だけだ」と言われ、その拡張主義が問題にされるが、自国侵略の被害者意識は歴史的にはあったのだ。
日本も日露戦争は別としても、シベリア出兵という明らかな侵略をやっているのだから。
プドフキン監督の『母』は、初めて見たが、単純な表現の作品である。サイレント時代の名画なので、仕方ないが。
1960年代に日本で再上映された時のもので、日活労働組合が協力になっている。
地下鉄で森下に行くが、東京メトロを乗り継いで行くのと、都営線に乗り換えるのでは料金が違うようだ。
この次は、メトロの乗り継ぎで行くことにしよう。
今回の眺花亭のビデオ鑑賞会は、1970年の「中津川フォーク・ジャンボリー」の貴重な記録。
個人の8ミリフィルムかと思ったら、インタビューアーに吉田日出子が出てくるので、どこかローカルなテレビ局の放送らしい。
会場作りから始まり、大型重機で会場の土を均しているなど、結構大掛かりなイベントだったことがわかる。
昨日は、これの次の1971年に参加したことがあるという方も来ていて、貴重なお話をいろいろと伺った。
アーチストは、当時のフォーク系で、高田渡のようにすでに亡くなった人もいる。
五つの赤い風船、遠藤賢司などだが、やはり一番は岡林信康だろう。
バックバンドは、ハッピーエンドで、細野晴臣がベースを弾いている姿が見える。
フォーク、ロックというよりも御詠歌、浪曲に近い歌もあるが、ともかく絶叫し、観客もそれに応えている。
これを見て、当時関西で、フォーク、ロック、ブルース等が大流行していた意味がよくわかった。
それは、東京で言えば、アングラ演劇の持っていた、反体制的な運動を意味していたのである。
だから、関西フォークには次々と優秀な人材が集まり、また東京では、アンダーグラウンド演劇運動に、全国から若者がおしかけて来たのだろう。
いつでも、一番盛り上がっている分野には、その時期の優秀な人材が集まるものなのである。