朝は、ろくなテレビもないので、よく放送大学を見ているが、先日『ヨーロッパの歴史 神の国から人の国へ』を見ていて、「ああ、そうか」と思った。
山梨大学の先生の草野卓のご説明で、
「アジアでは何人もの夫人がいたので、王家の血が絶えることはなかったが、欧州では一夫一妻制だったので、王家の血が絶えることがしばしば起きた」
中世以降、キリスト教下では、複数の妻を持つことができず、時には血統が絶えることがあったわけだ。欧州史を高校時代に習っていていつも不思議に思っていたのが、王位をめぐっての複雑な争いが起きることだった。
これは、後にイギリスの英国教会が生まれる原因にもなったことは有名だろう。
日本の「万世一系は」他国にはない世界に誇ることだと言われていたが、その裏には第二夫人以下の側室の存在があったわけだ。
幼児死亡率の高かった近代以前、健康に育った者のなかから次期の王を選ぶことはある意味で賢いことであったとも言える。
日本のみならず、現在でも北朝鮮の金王朝には、第二婦人らがいて、そこから後継者が出てきているようだ。
日本でもいずれは、女帝を認めないと、「平成の壬申の乱」になりかねないかと心配する者であるが。